このエントリーをはてなブックマークに追加

桐島部活やめるってよ、を見て、生きる意味とか哲学とかって、結局最後は何に落ち着くのかを改めて理解した

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Movie(映画), Philosophy(哲学), Radio(ラジオ), Self‐development(自己啓発), Thinking(考え)


どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。
今週は、先日ふと何気なく見た映画「桐島、部活やめるってよ」が最高すぎて、深すぎて、この素晴らしさをぜひとも共有したい、と思ったので、この映画ついて語っていきたいと思います。

見たことあるけど、よく分からなかった

この映画を実際に見たことあるけど、結局何がいいたかったのか、何がしたかったのか良く分からなかった。そういう人はたくさんいると思います。それはなぜかって言うと、この映画は登場人物が心情を何も発言してくれないんですね。だけど、それこそが、この映画にリアリティを生み出している根源なんです。

例えば、東出くん演じる、人生に迷う菊池という高校生が出てくるんですが、「おれは、どういうふうに生きたらいいか分からなくなってる」とか、「おれは実際空っぽなんだ」とか、一切言わないんですね。

よく青春ドラマでは、「俺はこの試合に人生かけてるんだ」とか平気で入れますけど、あれは観客に分かりやすくするために入れてるだけなんですよね。実際そんなこと言う人なんて見たこと無いし、実際いたら、青春ドラマかお前は!、漫画の読みすぎだ!、とツッコまれてると思います。

だから、この映画では一切言いません。実際の人生では、そんなこと言わないんで、よりリアリティを持たせるために、全てカットしてます。それが、この映画の理解を難しくしてるんですが、それだからこそ、裏に秘められている真意とかメッセージ性は大きいんです。

いきなりだけど、桐島くんとは?

まず、簡単にストーリーを話すと、この映画ってのは、桐島くんという、勉強が出来て、スポーツも出来て、女の子にもモテるという、完璧な高校生が、突然部活を辞めるってことになって、それが学校中で大騒ぎになるって話なんですけど、結論から言うと、この桐島くんってのは、最後まで一切出てこないんですね。

桐島は出てこないけど、桐島がいなくなることで、皆が大騒ぎになるっていう映画なんですけど、じゃあ、その桐島ってやつはこの映画で何を表してるかって言うと、高校生の象徴みたいなもんなんです。高校生が目指すべき像、そういうものを描いていて、それが急にいなくなった時に、どうすればいいか分からなくなる人ってのを描いているんです。

ですが、これは何も、高校生活だけにとどまらず、一般的な社会で言うと、社長が突然辞めるとか、天皇が突然いなくなっちゃうとか、そうなることで、その社会に属しているものってのは、大概パニックになっちゃうよ、っていう、そういう普遍的なことを描いているんですね。

生きる意味が分からなくなる高校生

そして、この映画の主人公は、小説は、東出昌大演じる菊池くんなんですが、映画では、神木隆之介演じる映画部の前田くんに、焦点が多く当てられてる気がしますね。

それで、この東出くんなんですが、彼も、桐島と似たような感じで、スポーツは万能で、勉強もできて、彼女もいてって言う、万能型の人間なんですが、彼は、全てが出来てしまうがゆえに、俺が本当にやりたいことはなんなのかってことを見失ってしまってるんです。高校生活だけじゃなくって自分の人生にも意味が見えなくなって、何のために生きるのかがよく分からなくなってるんです。

野球部でエースなんですけど、じゃあ上手く野球をやってたとして自分にとって何なのか、よくわからなくなっています。彼女もいますけども、彼女との恋愛も楽しくないんですね。

東出くんにしてみれば、もう野球とか恋愛とか、それら含めた全てに意味が無いことに気づいてるんですよ。勉強についてもそうで、勉強していい大学に行って、いい会社に入って、給料沢山もらって、お金をもらって、いい嫁さんもらって、じゃあ一体それが何なのかと、それ自体に意味が分からなくなってしまっているわけですよ。そんなことして一体なんになるんだという感じになってるんです。

劇中の中で、ある人物が、バスケ部を見て、「どうせ私たちは負けてしまうのに、負けるってわかっているのに何で頑張っているのかしら。」っていうセリフが出てきますけども、これはまさに人生そのものなんです。人生とは、どうせどんなに頑張ったって、どんなに金持ちになったって、どうせ死ぬんですよね。何もかも消えてなくなるんだったら、何のために生きてるんだろうってことを、問うてるわけです。

金持ちになって、すごく最高な暮らしをして、じゃあそれに何の意味があるのか、どうせ死んじゃうじゃないのか、ってとこまで考えさせる映画なんです。

神がいなくなっても全くぶれない3人

ここで、桐島くんがいなくなっても全くぶれない人が3人出て来ます。

一人は野球部のキャプテンです。野球部のキャプテンは、何でいつまでも引退しないのって聞かれて、「いや、ドラフトが来るまではね。ドラフトが来るまでは頑張るよ。」って言うんです。いや、来るわけねえだろ、馬鹿じゃねのかって、周りの人は感じると思うんですよ。

しかし、このキャプテンが演じているのは、他の神を待つ信仰者なんですね。つまりこのキャプテンっていうのは、来るわけもないドラフトっていうのを待ち続けて、それのために生きているんです。いわば、来るわけもない神様を信じている人ですね。絶対に来ないものを、来るわけのないものを待って、それで生きていける人です。

しかし、これも、絶対にかなわないってことを身に染みた時、どうするかっていう問題をはらんでいます。このキャプテン自身には、自分の信じる神がいるから、他の神(桐島くん)がどうなろうと、関係ないんですが、自分の神がいなくなった時は、同じように、パニックになるので、根本的な解決にはなってないというわけです。

そして、他にぶれないのが二人いて、それが映画部の神木くんと、吹奏楽部のキャプテンです。この二人は何故ぶれないか、これは、やりたいことを見つけているからなんです。

社会のシステムとか、金儲けであるとか、出世であるとか、学歴であるとか、そういったものは関係ないんですね。好きなものが見つかっている人には、やるべきことがわかっている人には。別にそんなフィクションとか関係ないんですね。システムとか嘘っぱちなことは関係ないんですね。

そして、この二人は、どちらも失恋するんですが、その失恋した想いっていうものをそれぞれの打ち込んでいる芸術に昇華させていきます。どちらも自己実現という形にするんです。

意味なんて、考えてない

そして、最後、生きる意味を失ってしまった東出くんと、神木くんが屋上で出会います。その時、東出くんがでカメラを触らせてくれないかと言います。それは、自分は生きる意味がわからなくって辛いのに、なんで神木くんはカメラを持って楽しそうにしてるんだろうと、このカメラに特別な力があるんじゃないかっていう感じで、思うからです。ここには、自分がまだ気づいていない、生きる意味が隠されてるんじゃないかと思ってるわけです。

そして、そのカメラを通して、東出くんは神木くんに質問するわけです。
何で映画とってるの?映画監督になりたいの?女優と結婚したいの?アカデミー賞が欲しいの?
これは何を聞いてるのかというと、結果として望んでいるものは?目的は?目標は?意味は?ってことを。本質的には聞いてるんです。

そしたら神木くんは照れながら、
「いやー、映画撮っていると、好きな映画とつながっているような気がして」としか答えないんです。
意味とか、結果とか、目標とか考えたことなくて、ただ好きでやってるんだ、って言ってるんです。

え、たったそれだけって感じです。ですが、ここが大逆転の瞬間なんです。

どういうことかって言うと、東出くんは全てにおいて完璧で勝利者でした。なんでも持っていました。だけど、たった一つ持っていなかった。それは意味や目的だったんです。しかし、神木くんは、意味とか関係ないし、やりたいことがあるからやってるとだけだと答えて、それによって、神木くんは、すべてを持っている東出くんに勝ったんです。

この映画が伝えたかったとこは、好きなことやってるやつが勝ち

それで、この映画が伝えたかったことは、好きなことやってるやつは勝ちだってことです。それで上手くいかなくたって別にいい、好きなことをやってるんだから。なんか結果がければ、なんか意味がなければと思っているから、勝ち負けってのが出てくるってわけです。

哲学とか、生きる意味とか、そんなものを追求した時に、じゃあ自分って結局何すればいいんだっけと言うのに、必ずぶち当たると思うんですけど、その時の解決策ってのは、結局、自己実現なんですね。自分の考えを本にしたり、作品にしたり、何か形にしてみんなに伝えるっていうそういうことに落ち着くと思うんです。

そういうことを、改めて考えさせられた映画ということで、これを皆さんに伝えたかったというわけです。

自分はどちら側の人間?

この映画を見て、へえ、そうなんだで終わりじゃないんですね。そんなもので終わる映画じゃなくて、じゃあお前はどっちだって言うのを、考えるべきものだと思うんです。

僕は、どうかって言うと、何も価値を求めず、好きなことだけを追求するってのはまだ無理です。そんな境地には達していません。
しかし、やり方は自分で決めさせろよって思ってます。そういう意味では、神木くんによりかもしれません。

ただの自己実現で終わらせるのではなく、しっかりと結果を出したいという気持ちはあるものの、そこまでの過程は自由に選べるだろって思ってます。さっき出てきましたけど、社会のシステムとか、金儲けであるとか、出世であるとか、学歴であるとか、そういったものは関係ないと思ってます。自分が好きで、やりたいものが見つかってるなら、そんな、他の人が決めたシステムとかは、自分にとっては嘘やデタラメと同じで関係ないんですね。

梅原さんの紹介ブログの時もありましたが、最高の結果を生み出すことは保証する、だけど、自分のやり方でやらせてくれ、自分のやり方が正しかったってことを生きてる間に沢山証明したい、とまあそんな感じです。

天才が抱える悩みって、意外と普遍的だけど、自己完結能力が、やっぱり凄いなあと感じる(プロゲーマー梅原大吾の講演を聞いて)天才が抱える悩みって、意外と普遍的だけど、自己完結能力が、やっぱり凄いなあと感じる(プロゲーマー梅原大吾の講演を聞いて)

ということで、今週はここらへんで終わりにします。では、また来週。

このエントリーをはてなブックマークに追加