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カテゴリー: Philosophy(哲学)

人間不平等起源論を読んで、「自由」について改めて考えてみた。

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), MembersOnly(会員限定), Philosophy(哲学), Self‐development(自己啓発), Thinking(考え)

SenKuSya代表の原田です。

ルソーの「人間不平等起源論」をよんで最近よく考えている「自由」について、自分なりの考えをまとめたいと思います。



ラジオ感覚で聞きたい方は、動画でどうぞ

後ほど追加します。

自由とは何だろう

自由とはそもそも何なのか。自由であるということはどういうことなのか。

逆に、まず不自由な状態というのを考えてみる。

不自由な状態というのは、何かに依存して、自分一人で決断ができない状態ではないだろうか。

例えば、刑務所にいるとき。
実際に体験したことはないから、「ショーシャンクの空に」や「プリズンブレイク」を見たところからの想像でしか無いが、
刑務所に入っている状態では、好きなものを食べることも、好きな様に生活することも出来ないはず。
不自由な状態で、一番分かりやすいのはそういう状態だろう。

じゃあ、次に、不自由ではないけど、自由でもない状態というのを考えてみる。

多くの人はこの「不自由じゃないが、自由でもない状態」に当てはまるんじゃないか。

例えば、会社や学校。
そこには、必ずそれぞれルールが存在する。そして、それは殆どの場合において、自分自身で作ったものではない。
ルールは必ず遵守しないといけないというわけではなく、嫌になれば、勝手に出ていったってかまわない。
だけど、何となく、そこのルールに従う。ルールの中で色々と試行錯誤する。

自分にとっての自由

最後に、自由な状態について考えてみる。

最近、「自由に生きる」とか「好きなことだけして生きる」みたいな、謳い文句が流行っているが、彼らの根底にある考え方は一体なんだろう。

僕が想像するに、それはお金ではないだろうかと思ってる。彼らは、お金があれば、一応満足するんじゃないだろうか。

お金かあ。

たしかに、お金があれば、自由になるのかもしれない。働く必要もないし、好きなところに住んで、好きな生活を送れるのかもしれない。
いま、何か嫌なことをやらなければいけない生活だとしたら、嫌なことをやらなくてもよく、誰からも何も強制されることはない。そういう意味では。。。自由なのか。

いや、しかし、自由ってのは本当にそういうことか。

うーん。いや多分、彼らにとっての自由ってのはそういうことだ。

「自由」が欲しいんじゃなくて、「お金」が欲しいって、多分、そういうことだろう。

じゃあ、自分はどうなんだろうか。

お金が欲しいのか。。。。いや、別に生活するだけのお金があれば、構わないかな。

それじゃあ、自分にとっての自由とは?

….「何でも出来る」ってことだろうな。

お金がほしいだけなら、どこかの社長に気に入られて、そこの会社を引き継ぐって選択肢もあるはずなんだよな。
だけど、自分は、誰かの会社を引き継ぐってのには、興奮を覚えなかった。
そして、自分がやりたい仕事以外には、興味がわかない。…これは普通か。

働く理由

自分は、何のために働いてるのかっていうと、お金を稼ぐためでも、世間体を保つためでもなくて、「自分に今出来ないことが、出来るようになるため」。それはずっと変わらない
営業とか、カスタマーサポートとか、店頭販売とか、色々とやってみたけど、やっぱりこの、エンジニアって仕事が一番しっくりくるのも、そのためなんだろう。

「自分に今出来ないことが、出来るようになるため」と言ってみたけど、じゃあ、何のために、出来るようにする必要があるのか。
それは、もう、ただやりたいから。やりたいことが沢山有るから、という説明しかできない。

「やりたいことは、一つに絞って、それのスペシャリストになるべきだ」って、誰かが言ってたけど、やっぱり、どうしても、それには賛同できない。
アプリも作ってみたいし、ゲームも作ってみたいし、会社も経営してみたいし、宇宙にも行きたいし、文学作品だって作ってみたい、ギターだって弾けるようになりたい。絵だって描いてみたい…かもしれない。
この中からどれか一つだけやって、それで満足して、死ぬなんて、そんな勿体無いことは、自分には出来るはずがない。二周目があるとも思えないから。
というか、自分で、自分自身に、自由になれない枷をはめてどうする。

つまり自由になることとは

もし、さっき挙げたこと全てができるようになったら、そのとき、僕は、ようやく「自由」というものに、なれるんじゃないだろうか。
つまり自由って、「自分のやりたいことが、何でも出来るような状態」じゃないかって、僕は勝手に思ってるわけです。

いや、まあ、しかし逆に考えてみると、自分の中の「達成したい欲求」が生まれ続ける限り、ずっと自由にはなれないだろうし、もしかしたら、死ぬ間際に「ああ、結局自由には届かなかったな」とか思うのかもしれない。
そして、ずっと挑戦者であるわけで、どこかの門を常に叩かなければいけないわけで、「ふう、ようやく落ち着いた」なんて思う瞬間すらないかもしれない。
だけど、もう、いくら考えたって、どこかに落ち着いて、同じことをやって一生暮らすなんて、そんな生活は、どうにもこうにも出来そうにない。
楽をして生きていこうとも思わない。楽して生きた後、「あれ、おれ何が出来るようになったんだ?」とか思いたくないから。

挑戦し続けるって言ってみたけど、その挑戦も、何か明確な目標が必要なのは、間違いない。
例えば、自分の思い描くアプリを作りたい、だから、アプリケーションの勉強をする、
自分の作ったWordPressのホームページが凄くもっさりしてる、GCPに移設したい、だから、GCPの勉強をする、
自分でゲームを作って、販売してみたい、だから、Unityの勉強をする、
何か、自分に今は無い考え方を知りたい、だから、難解な哲学書や文学作品を読む、
とか、そんな具合に。

「自分のやりたいことが、何でも出来るような状態」って書いたけど、「自分の力で」ってのが抜けてた。
自分の力じゃなかったら、お金の力で、どうにでもなる。ってことは、結局、お金のために生きることになってしまうな。

「自分の力で」ってのは、僕にとっては、ものすごく重要で、根本的に、誰にも頼りたくないって考えが根底にある。
頼り上手な人からすれば、「いやいや、そんなの効率悪いよ」って諭してくるかもしれない。
まあ、僕はそう思ってないから、このやり方を貫いてる。
なぜなら、誰かの力を借りて得た自由ってのは、その、誰かに、依存してればしてるほど、その、誰かによって、簡単に壊されるぐらい脆弱なものだから。
まあ、これは議論の余地はないか。というか、人それぞれ好きにすればいいと思ってる。その中で、自分は「絶対に頼らない」って選択を取っているだけで、頼るってのもいいんじゃないかな。

最終的にたどり着いた生き方

何かに挑戦し続けて、出来るようになったことを、アウトプットし続けてみよう。
合ってるか、間違ってるとかの次元ではなく、自分は、自分が信じる道を突き進むことしか出来ない。
振り返ってみた時、理想の「自由」へ近づいているのか、わけの分からないことになっているのか、
前者になってることを願ってやまないが、実際はどうなるかは、神のみぞ知るってことで締めくくることにする。

本当は、ジャン=ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」を読んで、彼の「自由」の記述に感銘を受けたから、
それを紹介しようと思って書いたら、全然違う方向に着地してしまいましたが、これはこれで有りだと思ったので、また、今度紹介します。



P.S.

変化しすぎて、たまに自分でも、以前何を考えてたのか、分からなくなるから、こうやって、自分の考えを残していって、後で見返した時に、分かるようにしていきたいと思う。

独白って形式で書いてみて、太宰治のように書けないかなと思ったけど、やっぱり彼は、天才だなって実感する。

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