ピカソやヘンリー・ダーガーを見て、作り続けるということについて深く考えてみた

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Diary(日記), MembersOnly(会員限定), Radio(ラジオ), Thinking(考え)

どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。

最近続けることって、やっぱ大事だよな、とつくづく思えてくるので、今回は続けることについて、偉人や様々なエピソードを交えながら、語っていきたいと思います。

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ピカソについて

みなさんピカソは知っていますよね。「泣く女」や「ゲルニカ」で有名なあのピカソです。

ピカソといえば、物凄く特徴的な絵を描くことで有名かと思いますが、では、その偉大なピカソが生涯において創作した美術品の数を知っていますか?

これが本当に衝撃的な数です。その数なんと、147,800点です。制作物の内訳は、およそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器らしいです。

およそ15万点ですよ。一体どれだけの根性があればそんなに多くの作品を残せるんだという気がします。単純計算でピカソの生涯92年で割ると、1日4点以上の数になります。もちろん、生まれた瞬間から作っていたわけではないので、現実はもっと多いわけです。

ヘンリー・ダーガーについて

続いては、ヘンリー・ダーガーです。

継続について書く上でこの人は外せません。知っている人は少ないかもしれませんが。

彼は何をした人物かというと、「非現実の王国で」という名の、15,000ページにも及ぶ、壮大すぎる物語を残しました。長すぎて、テキスト全部が刊行されたことはないらしく、読破した人も皆無とされています。

彼はそれを、自室にこもって、60年以上の間長い年月をかけて書き続けました。

それは、誰に見せるためでもなく書いたものです。彼が残したそれらの作品は、彼の死の直前に発見されました。

60年以上も一人で物語を書き続けるという、その根底にある感情は一体どういうものだったのでしょう。


彼ら二人を見ていると、偉大すぎて唖然としてしまいます。

レベルが違いすぎて、この二人ぐらい頑張ってみよう、なんて考える余裕もありません。

ですが、ふと、彼らと自分との違いは一体何なのか、続けるということにもっと向き合っていく必要があるんじゃないか、なんて考えたりするわけです。

あと、単に何かを続けるのではなく、何かを自分の手で作り続けるということが、僕には凄く偉大なことに思えます。

なんせ、続けると一言にいっても、色々なものがあります。例えば会社なんかどうだろうか。一つの会社で何十年間もずっと働き続けるってことは、並大抵の人がなせる技じゃないはず。特に東京なんかで働いていると、あらゆる場所にあらゆる仕事があります。一つの会社でずっと働くということは、自分には一番縁遠いことなんじゃないかと思ったりもします。

また、現代の環境だと、自分がやりたいと思ったことはなんだってできます。どんな知識だって入ってくるし、どこにだって行けて、望めば何だってできます。その中である特定の何かを作り続けるってことは、どのぐらいになったらそれに全てを費やそうと思えるのかとか、芽がでる間はどういう心情なのかとか、気になって、それがまだはっきりと分からない自分には、とてつもなく偉大に思えてきます。

ブログを毎日書き続けるでも、Youtubeに毎日動画をアップし続けるでも、エッセイをノートに毎日書き続けるでもいいんですが、その偉大なことを、「自分が好きだから」という理由でやっている人には、ああもう勝てる気がしないなとか思います。

ブロガーやYoutuberは、僕が目にするときはいつも有名になってからなんですが、ほとんど誰にも見られていないとき、この人たちはどういうモチベーションでそれを続けてこれたのかと物凄く気になります。


以前サルトルの嘔吐を読んだ時に、音楽でも文章でも何でもいいから、それを作り続けて、それを読んだり聞いたりした人にインパクトを与えることこそが、生きる意味だ、って書いてました。詳しくは、(98点)サルトル「嘔吐」を情熱的に感想・評価・レビューを読んでください。誰かに何かを感じてもらえたら、それはもう君の勝ちだ、っていう理論なんですが、そういう、生き方考え方って素晴らしいなと思うんですね。

もっとも効率よく働いて、もっとも効率的にお金を稼いで、裕福な暮らしをするのが、人生の幸せのモデルだ、って考えもありますが、めちゃくちゃ効率悪くても、自分にしか作り出せないものを作り続ける人の方が格好よく見えるって、そういう風に最近思えてきます。

あと、太宰治の「清貧譚」という作品の中で、自分が作った芸術作品でお金を稼ぐのはアリなのか、という問題について書かれていました。そんなもの真の芸術ではない、金のために作り出したものなど美しくない、という意見もあるかもしれませんが、僕は個人的にはアリだと思っています。

お金のために作ろうが、自分が作りたいから作ろうが、美しいものはずっと美しいままです。それに値段がつくのなら、売ろうが何に使おうが構わないと思っています。


どういうモチベーションでいれば、ピカソやヘンリー・ダーガーの様に作り続けることができるのか。その答えは、僕には未だなお謎のままです。

僕自身が作り続けているというものは、このブログとプログラミングぐらいしかありません。それも1年程度です。この先、この二つ以外の新しいこと、例えば絵を描いたり、小説を書いてみたりもしたいものですが、それは、今の二つを続けた上でできたらいいなぐらいに思っています。

いつか、自分が作り続けたものに価値が付いた時に、「自分はそれを作りたくて、また、自分にしかできないと思ったから、ずっと続けている」みたいに、語ってみたいなとも思いました。

あと、一万時間の法則ってありますよね。どんなことでも一万時間続ければ世界屈指のレベルに到達するというものです。まあ、一万時間って容易にはこなせそうにないなってのはわかりますが、それでも、どうしても無理ってわけじゃないですよね。何年もかける覚悟があるなら、到達できない数字ではないです。だけど、誰もが世界屈指のレベルの何かを持っているかといえば、そうではないわけで、ということは逆にいえば、多くの人は好き嫌いに関わらず、趣味にしても他のことに関しても、一万時間は費やしてはいないってことです。

自分の好きで続けていることが、世界レベルに到達したらそれはそれは、さぞかし気持ちいだろうなあって思います。何とか僕も、一万時間続けて、世界レベルに到達できたらいいなと思います。


今日は特にまとまりなく、思うがままに書きましたが、こういうのもたまにはいいかなと思っています。

今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

それでは、また今度。


本文中に出て来た本

「嘔吐」 サルトル

「お伽草紙」 太宰治 (清貧譚が収録されています)


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