(85点)プラトンの「国家」を情熱的に感想・評価・レビュー。正義は人を幸せにするか?イデア論とは?

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), MembersOnly(会員限定), Philosophy(哲学), Radio(ラジオ), ソクラテス

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は、哲学のお話で、プラトンの「国家」について書いていきたいと思います。

まず、哲学書とかあまり読まない人に向けて、プラトンの説明をすると、この人はたくさんの書物を残しているんですが、その著書の大半は対話篇という、会話形式で話が書かれており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主人公として書いています。

そして、この「国家」ももれなくその一つであり、プラトンは一切出てきません。

じゃあなぜ、ソクラテスが主人公かというと、このソクラテスという人物は、哲学の祖と呼ばれるくらい、思慮深い人物だったのですが、実は自分で書物を残すということを一切やってこなかったわけです。
だから、プラトンが代わりに書いているような状態だったわけです。

説明はこれぐらいにして、それでは早速、プラトンの「国家」について、僕の意見を交えながら、感想を述べていきたいと思います。


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「国家」とは

ソクラテスは国家の名において処刑された。
それを契機としてプラトンは、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。
この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。
プラトン対話篇中の最高峰。

この本ははっきり言って、分量もやたらと長いし、説明もやたらと面倒なので、相当な気合を入れて読まないと、読み切ることすら出来ないと思います。

しかし、この本はあの有名なイデア論というものについて書かれた本であり、死ぬまでに必ず一度読んでおきたいと思わせる本でもあります。

この本を読まずして、哲学者とは名乗れないようなそんな本です。


「国家」のテーマとは


この本で取り扱っている内容というのは、「正義」についてです。

この本はまず、「不正をはたらくものは、ばか正直に正義を守る人間よりも、得をする」という弟子が言い放った言葉から始まり、この理論を論破するために長々と書かれているようなものです。

ソクラテスの主張は一言でいうと、「正義こそが人を幸せにする」という唯それだけです。
しかし、それだけのことだけども、あらゆる理論で武装しないといけないから、果てしなく長くなっているだけです。

「国家」は上下巻に分かれているのですが、上巻を凄く簡単にまとめると、以下のような感じです。
正義のメリットと悪のデメリットを証明。
正しい国家では国民全員がそれぞれ一つのことだけをするもの。
そして、その国家の支配者は哲学者であるべきだ。
哲学者は本物の知を愛するもので、それを投影したものではない。

この最後のに書いた、本物とそれを投影したものというのが、有名なイデア論です。
上では、イデア論の導入部分で終了します。


イデア論とは

そして、下巻では、有名な洞窟の比喩を使って、イデアというものを説明します。

次のような状況を想像して下さい。
洞窟の中に沢山の人々がいます。
柱か何かにくくりつけられていて、前しか見えません。
目の前には壁があります。
後ろにはイデアという太陽のようなものがあります。

例えば、その太陽の前を何かが通り過ぎた時、人々の目にうつるのは、壁に映された実態の影です。
人々が見ているものは実態そのものではありません。

これが何を意味しているかというと、多くの人々は、この状態だということです。
実体を見たことがないがゆえに、目の前のその投影された影を真実だと思いこんでいるということです。
そして、洞窟から出ることができ、実際にイデアや実体を見たことがある人物こそが哲学者なのだと言っているわけです。

ソクラテスはこのことに関して、以下のように説明しています。

地上に出てイデアを見たものは、未だなお洞窟にいる仲間を哀れむ。
洞窟内での名誉や賞賛は下らないと思うようになる。
洞窟へと逆戻りすることを最大の苦痛と思う。
洞窟に強制的に逆戻りさせられた時、暗闇になれず、周りの景色はぼんやりとしか見えない。
その彼を見て、洞窟内の仲間は笑い、あの男は上へ昇っていったために、目をダメにして帰ってきたと言う。上へ登ることは試す価値もないと考える。
そして、上へ連れて行こうとする者を捕らえて殺そうとする。
我々の作る国家は、最も優れた素質を持つものに、最大の学問を学習して善を見るように強制を課す。
そして、善を見た後は、そのまま上方に留まらず、もう一度洞窟へ降りて仲間へ分かち合うことも強制させる。
それは彼に対して不当な仕打ちになるかもしれんが、国家全体の幸福に繋がる。
国家が最高の養育を施した借りは、しっかり返せということになる。
善や美、それ自身単体であるものを認識しているのが哲学者であり、善や美に似た類のものを善や美だと思い違いしてるのが、世間にいる哲学者ぶったやつ。
哲学者ではない者達は、実相の影だけを真実のものと認める。
洞窟へ戻った彼らは、慣れさえすれば、そこにいる者達よりも何全倍も良く見えることが出来る。彼らはそこにある影の一つ一つが何の影であるかを識別できる。なにしろ彼らは、真実を見てしまっているから。
そういった人たちが治める国家は、正気の統治が行なわれる。
影をめぐってお互いに論争し合い支配権力を求めて抗争にあけくれるような人たちとは違う。


僕の「国家」に対する考え

さて、ここからは、僕がこの「国家」に書いてあった、哲学や考えなどに対してどう思ったかについて語っていきたいと思う。

まず、ここに書いてある国作りについては、猛烈に反対だ。

なぜなら、ここに書いてある国家では、国民は決まった一つの仕事しかやってはいけないのだ。
しかもそれは、わりと最初の段階に決められる。
ソクラテスは次のように言っている。

われわれは、もう一つの課題として守護者達に命じることにしよう。すなわち彼らは、国家が小さくもならず、見かけだけ大きな国となることもなく、充分であり、かつ一つであるようにと、あらゆる手段を尽くして見張らなければならない、ということをね
各人は国における様々の仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、1人が一つずつ行わなければならない。そして自分のことだけをして余計なことに手出しをしてはいけない。
これこそが正義なのだ。


そんな一度しか無い自分の人生を、国が良くなるためだろうか、文字通り、社会の歯車の一部となって、代わりが利くような、歴史にも残らないような生き方は御免こうむる。
ルソーの人間不平等起源論のレビューで書いたが、人間誰もが唯一最初から持っている貴重で貴いものとは、自由であることだ。
それは、決して誰であれ渡すべきではない。

そして、次にイデア論について。
非常に面白い考え方ではあるが、信じることは出来ない。

なぜなら、このイデア論というものは、ものだけではなく、善や美徳などの考え方も、影のようにそう見えるものと、実際にそうである実体とがあって、その実態を知っている者こそが哲学者だと言っているが、そういった物の考え方は当然言うまでもなく、人それぞれであるからだ。

どれが正しいというわけではないし、宗教と同じで、自分の信じたいものを信じさえすればいいはずで、そこに偽物も真実も無いはずだからだ。


まあ、僕としては、この「国家」の内容は、納得行かないこともあったが、この本には、面白いことも書いてあったので、それらを少し紹介したいと思う。


技術は一つの目的しかなさない

技術は、自分でない誰かのためにしか利益を生まない。
医術は、自分の健康に利益をもたらすものではなく、医術の対象者の健康に利益をもたらすものであるように。
すなわち、どんな技術も自分のために利益を生まず、その対象者のための利益をもたらす技である。
また、技術はそれぞれ固有のものである。医術がもたらすものは健康であり、航海術がもたらすものは、航海の安全である。
それぞれの技術は、決して同一ではなく、別物である。
仮に、船長がその航海術によって、自分に健康をもたらしたとしても、それは医術とは呼ばない。
よって、医術が作り出すものは、あくまで健康だけであり、報酬をもたらすのは報酬獲得術の方である。
また、建築術の作り出すものは、家であり、報酬獲得術が別にそれに伴うことによって、報酬をもたらすのだ、ということになる。
あらゆる技術は、それぞれが自分だけの仕事を持ち、対象に利益を与える。


この理論から学んだことを自分なりに考えてみるに、報酬が欲しいのなら報酬獲得術を学ぶべきである。
それを現代の人たちは混同しているなということだ。
医者になったり、建築家になったら稼げるのではない。
それがもたらすものは、対象者の健康であったり、家であったりするだけである。
報酬は別の話である。
だから、何が言いたいかっていうと、技術を学ぶ際に、金の話を考えても見当違いだぞってことだ。
技術を学びたいなら、それがもたらす利益に心の底から響くものにしなければいけない。
だからもしも、お金が欲しいというのなら、興味ない技術を学ぶより、格好つけずに報酬獲得術を学ぶべし。


正義は辛くないのか

「ソクラテスさんは、正義とは、幸せになろうとするものが、それをそれ自体のためにも、それから生じる結果のゆえにも、愛さなければならないようなものに属する、と言いました。
ところが、多くの人々には、正義とはそのようなものではなく、辛いものの一種であると思われています。
つまり、報酬のためや、世間の評判に基づく名声のためにこそ、行わなければならないけれども、それ自体としては、苦しいから避けなければならないような種類のものに属するのだと。」
「君は、気づいたことがないかね。
真似というものは、若い時からあまりいつまでも続けていると、身体や声の面でも、精神的な面でも、その人の習慣と本性の中にすっかり定着してしまうものだということに。」


これはそのままです。
正義の行いでも続けてさえいれば、心の底からそういう人になるから、辛くないのだと。
まあ、にわかには信じがたいですが、試してみる勝ちはあるでしょう。


名誉の愛好家たち

名誉の愛好家たちは、将軍になることができなければ、分隊長にでもなろうとし、大物の偉い人々に尊敬されることができなければ、もっと小物でつまらぬ連中にでも尊敬されることで満足する。
彼らはなんとしてでも、とにかく名誉が欲しいのだ。

これは、以前も今も変わらないんだなあと思いました。
日々生活していると、「いや、この集団で上の地位に立つことに意味があるのか? そこで得られる尊敬よりも、そこに費やすコストのほうが大きくないかな?」とか考えたりします。

僕は、名誉欲というものはほとんどなくて、「そこで自分が得られるものは、これからの自分の人生にどう生きるか?」と言うものを重視して様々な選択を下していきます。


哲学に必要な学問

魂を真実在へ上昇させる学問は、計算学や数論である。これらは感覚によって認知できるものではなく必ず知性を必要とするからだ。
計算学や数論は、感覚を強制して、純粋な知性そのものを用いて真理そのものへ向かうようにさせる。また、これほど学習し勉強するものに対して多くの苦労をかする学科というものは、容易には見つからない。
よって、最も優れた素質を持つ者達は、この学科によって教育されるべきだ。
幾何学も同様。
天文学も同様。
魂の視線を上に向けさせる学問とは目に見えない実在に関わる学問であり、天空の星は、目に見えぬ実在を目指して学ぶための模型として用い、その真理はただ理性と思考によってのみ捉えられるからだ。


これは僕にとっては意外でした。
今まで抽象的なことばかり書いていたのに、ここに来て、数学や幾何学や天文学を勉強しろ、とまともなことを言うんだなあと思いました。


勘違い

慎みを、お人好しの愚かさと名付け、
節制を、勇気のなさと呼んで、
程の良さと締りのある金の使い方を、野暮だとか自由人らしからぬ賤しさだとか理屈をつける。
次は直ちに、傲慢、無統制、消費、無知と言ったものに冠をいただかせ、
傲慢を、育ちの良さと呼び、
無統制を、自由と呼び、
浪費を、度量の大きさと呼び、
無知を、勇敢と呼んで、大合唱する。


これは、なるほど、と思いました。
いずれも紙一重で意味が大きく変わってくるので、自分の頭でしっかりと正しく判断しなくてはと改めて思いました。


名誉の愛好家たち

欲望をみな平等に尊重している彼は、その時々に訪れる欲望に耽って満足させながら、その日その日を送っていく。
ある時は酒に酔いしれて笛の音に聞き惚れるかと思えば、次には水しか飲まずに身体を痩せさせ、ある時はまた体育に勤しみ、ある時は全てを放擲してひたすら怠け、ある時はまた哲学に没頭する。
しばしばまた国の政治に参加し、壇にかけ上って、たまたま思いついたことを言ったり行なったりし、時によって軍人たちを羨ましく思うと、そちらの方へ動かされるし、商人たちが羨ましくなれば、今度はその方へ向かっていく。
こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるのだ。

最後はこれです。
自分のことを言われているような気がして、非常に気になりました。

まあ確かに、すべてのことに一貫性があるかと言えば、そうではないかもしれないし、後から意味づけしていることも何回かあるかもしれない。
だけど、僕はやはり、好きなように、自分のやりたいように生きるのが一番いいかなと今でも思っています。
これは、自分がまだ若いからなのか、ソクラテスの歳ぐらいになったら、考えは変わるのか。
僕としては、自由に生きながらも、歴史に名を刻んで、多くの人に、自分が死んだ後もずっと影響を与えられるような人物になりたいと思っています。


ということで、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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それでは、また明日。


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