何のために芸術活動を行う? 己のためか、お金のためか、名誉のためか。太宰治の「清貧譚」を読んで。

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Literature(文学), MembersOnly(会員限定), Radio(ラジオ), Thinking(考え), 太宰治

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は芸術活動について、少し思ったことを書いていきたいと思います。


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何のために芸術活動を行うか

芸術活動と言っても、いろいろな種類があります。
文芸、美術、音楽、演劇・映画、漫画など、数え上げればキリがないです。

芸術とは何か。
ピカソは「芸術とは発見である」と言いました。
僕は、芸術とは、「人の心を強く揺さぶるもの」であると共に、「自分自身を最大限に表現するもの」だと思っています。


芸術活動とは、普段自分たちが行う活動と、全く異なるものだと思っています。

例えば、仕事は、多くの人にってお金を得るために行うものであり、勉強は、知識を身につけるために行うものです。

どんな些細な活動でもいいですが、1日の中で、お金を得るために行っているわけでもなく、知識を身につけるために行っているわけでもなく、自分自身を表現するために、誰かの心を揺さぶってみようと何かを行っている時間がある人は、一体どのくらいいるでしょう。

これは、かなり少ないはずです。


では、その数少ない人たちは、一体何を目的として頑張っているのでしょうか。

もしかしたら、そういう人たちは一攫千金を夢見て頑張っているんだ、と考えている人もいるかもしれない。

バンドマンとかは、僕の勝手な予想ですが、そう見られがちかもしれません。

だけど、改めて考えると、お金のためだけに頑張れるはずが無いなと思います。
仮に、最初はそう言う思いから始めたとしましょう。
しかし、実際に一攫千金を手にするまでには、かなりの時間と労力を必要とするはずです。
色々なことがトントン拍子に行くなんてことは、まずもって不可能です。

少数の誰かにしか見られていないような状況で行う、自分の芸術活動は、お金を稼ぐことよりも、いかに自分を表現するかという方向に必ず振れます。

なんたって自分の貴重な時間と労力をそこに費やしているわけですから。
お金がほしいのならば、その分働いたほうがはるかに効率がいいということは、誰もが知っている。

だからこそ、お金のためじゃない、自分ができる最大限の自己表現を、そこに載せるはずです。


芸術活動をお金に変えることに対して

芸術活動がお金を生んだ時にどうするか。

もしも、お金を稼ぐという目的が最初にあり、いろいろな戦略を練りながら、めげずに続けることができ、それがお金を稼ぐ手段に成った場合は、それは最早、芸術活動ではなく、仕事です。ビジネスです。

じゃあ、それとは違い、自分のやってきたことが次第に陽の光を浴びるようになってきて、そこから感動の対価としてお金を稼げるように成った場合はどうだろう。

僕が今日書きたかったことはまさにこれです。


太宰治が書いた作品の中に「清貧譚」というものがあります。

昔あるところに馬山才之助とう男がいた。
ひどく貧乏である。三十二歳、独身である。
菊の花が好きであつた。
佳い菊の苗が、どこかに在ると聞けば、どのやうな無理算段をしても、必ず之を買ひ求めた。
ある日、才之助は貧乏の少年と会い、自分の家に住まわせることになる。
どうやら、彼も菊に心得があるようだ。
家の庭を半分与えてみた。
すると、少年の菊は、いままで見た事もないやうな大きな花を備えて、畑一めんに咲いていた。
菊の花は、あきらかに才之助の負けである。
そして、どうやら少年お暮らしを見ると、その菊を売って、そのお金で生活しているようであった。


この才之助という人物は、菊を売ることに反対でした。
「おのれの愛する花を売つて米塩の資にする等とは、もつての他です。菊を凌辱するとは、この事です。おのれの高い趣味を、金銭に換へるなぞとは、ああ、けがらわしい」とまで言っています。

ですが、この物語は最後にどうなるかというと、才之助は自分の菊を売って生計を立てることこそはしませんが、この少年が自分の菊を売って設けたお金で生活するようになるんです。
これはつまり、芸術家というものは、自分の作品を売って生計を立てても良い、という考えを肯定したということです。


それでは、この物語を通して、太宰治は何をいいたかったのか。
それは、芸術家はその魂を売るべきでない,という意識や風潮が,多かれ少なかれ,あったとしても、しかし,生きるためには仕方ないではないか,ということだと思います。

自分の作った作品がお金に変わることは、僕は素晴らしいことだと思う。
世の中にある指標はもちろんお金だけではないが、お金が万人に共通する指標であることは間違いない。
だから、その万人共通の指標で評価されることは、単純に喜ばしいことだと思う。

しかし、お金というものが、人の価値観や考え方を変えてしまうというのも事実だ。
自分の作品がお金を生むという現象を、無視できずにはいられまい。
そこでなお、変わらないもの、自分の作りたいものを作り続けられるかってのは、僕は芸術家にとって、とてつもなく重要なものなんじゃないかと思っている。


太宰治が言っていたのは、あくまでも、「生きるためには仕方ない」という部分です。
太宰治は、「晩年」と「女生徒」という本でこのように語っています。

「「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。
「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈である。
「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。
「晩年」は、昭和十一年の六月に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。
一年に、三百冊ずつ売れた事になるようだが、すると、まず一日に一冊ずつ売れたといってもいいわけになる。
五箇年間に千五百部といえば、一箇月間に十万部も売れる評判小説にくらべて、いかにも見すぼらしく貧寒の感じがするけれど、一日に一冊ずつ売れたというと、まんざらでもない。
「晩年」は、こんど砂子屋書房で四六判に改版して出すそうだが、早く出してもらいたいと思っている。
売切れのままで、二年三年経過すると、一日に一冊ずつ売れたという私の自慢も崩壊する事になる。
たとえば、売切れのままで、もう十年経過すると、「晩年」は、昭和十一年から十五箇年のあいだに、たった千五百部しか売れなかったという事になる。
すると、一箇年に百冊ずつ売れたという事になって、私の本は、三日に一冊か四日に一冊しか売れなかったというわけになる。
多く売れるという事は、必ずしも最高の名誉でもないが、しかし、なんにも売れないよりは、少しでも売れたほうが張り合いがあってよいと思う。
けれども、文学書は、一万部以上売れると、あぶない気がする。
作家にとって、危険である。
先輩の山岸外史氏の説に依ると、貨幣のどっさりはいっている財布を、懐にいれて歩いていると、胃腸が冷えて病気になるそうである。
それは銅銭ばかりいれて歩くからではないかと反問したら、いや紙幣でも同じ事だ、あの紙は、たいへん冷く、あれを懐にいれて歩くと必ず胃腸をこわすから、用心し給え、とまじめに忠告してくれた。
富をむさぼらぬように気をつけなければならぬ。


太宰治は決して裕福な暮らしをしていませんでした。
むしろ、実家が裕福であるゆえに、裕福を嫌ってさえいました。

僕は、太宰治の書く文学が大好きなのですが、彼の書く文学の素晴らしさが、こういった確固とした芸術家の魂によるものだと思っていて、そうであってほしいという願いのようなものさえあります。


今に始まったことではないかもしれませんが、何かと稼いでいる金額で評価されるようなことが多く、将来の夢も何か、やりたいことよりも、その職業が需要があるかとか、安定して稼げるかとか、名誉があるかとか、そんな基準で選ばれているような気もします。

お金をより稼いでる人が正義で、尊敬するべき対象だ、なんてことは僕は今まで生きてきて、これっぽっちも思ったことはありません。

太宰治は歴史にきっちりと名を刻み、彼が当時書いた本を読んで、感動している人間が、今の世の中にも数え切れないほどいる。
この現代で、太宰のような考え方をして、それは通用するのか。
芸術家としての魂を売らず、自分しかそんなことは賭けないだろうという思いから書く、そんなやり方が今の世の中でも通用したらいいなと、そんなことを思いました。


ということで、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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それでは、また明日。


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