その2:(100点)太田光の「しごとのはなし」を情熱的に感想・評価・レビュー。無駄な時間について。

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Essay(エッセイ), MembersOnly(会員限定), Radio(ラジオ), Self‐development(自己啓発), 太田光

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は、前回に引き続き、太田光の「しごとのはなし」という本について、印象に残った部分と、それに対する僕の意見を交えて紹介していきたいと思います。
まだ、前回のブログを読んでいない方は、是非そちらから先に読んでみてください。

その1:(100点)太田光の「しごとのはなし」を情熱的に感想・評価・レビュー。太田光...
太田光というと、テレビでの、お馬鹿なことばかりしている、というイメージを持っている方が多いかと思いますが、ラジオなどを聞くとわかりますが、数多くの本を読み、...


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「しごとのはなし」について

情報誌「ぴあ」で約2年間連載した「しごとのはなし」が1冊の本になりました。
「プロとアマのはなし」「お金のはなし」「不景気のはなし」「ヒットのはなし」……
自らの“しごと”にまつわる35のテーマをもとに、太田光独自の目線でたっぷり語り下ろし!
仕事とは? 世間とは? 個性とは? 表現とは? 人間とは?
日々悩んでいるあなた、人生に迷っているあなた、自分を変えたいあなたへお贈りする、目からウロコの生きるヒントがここにあります。


作家を入れるということ

ただ、若い頃から「もしもアイディアがまったく浮かばなくなったら?」という恐怖心があった俺は、早い時期から、うちの事務所に作家を入れてもらってきた。
黒澤明という天才映画監督をして、全盛期の作品には数人の脚本家が参加して共同作業で練り上げていたと。


これに関しては、僕も将来、このブログや、他のSenKuSyaの活動がもっと大きくなれば、誰かを招き入れる可能性はあります。
だけど、それは、アイデアが浮かばないかもしれない恐怖心や、他の人の方が上手くできるだろうといった謙虚な心からではありません。
ただ単に、僕がここに割ける時間というのは、SenKuSyaの実績に伴い、どんどん短くなっていく気がするからです。
その時に、更新頻度が遅くなるぐらいならば、誰か自分の信頼できる人に代わりに書いてもらって、更新頻度を上げた方が、僕にとっても読者にとっても良いだろうと考えるからです。
だけど、その時は、その人の名前で書いてもらって、自分の名前で書く時は、必ず自分の力のみで書くことにすると思います。
それは、何故かと言うと、僕はこのブログを通して、誰かに影響を及ぼすことと同様に、自分自身のその時の考えを日記の様に残したいと考えているからです。
それが後々、自分が死んだ後も活きてくると思っているからです。


無駄な時間について

一時期、映画「アリス・イン・ワンダーランド」で、ジョニー・デップが演じた「帽子屋」の様な時間を過ごしていたことがある。
ルイス・キャロルの原作の中での「帽子屋」は、女王様によって永遠にお茶の時間を過ごすようにされてしまう。
およそ有意義とは思えない全部が無駄な時間。
俺にとっての“ティーパーティー”な時間は、大学生の頃がそうだった。
授業をサボって行きつけの喫茶店に毎日入り浸っていたから、文字通り「お茶会」でもあったんだけど(笑)。
同級生たちの芝居を見に行っては「つまんなかった」と、わざわざ楽屋に行って嫌がらせしてたっていう(苦笑)。
でもさ、彼らにも言い分があるわけじゃない?
「じゃあ、お前は何やってんだよ?」と言い返されて、俺は「何にもしていないけどお前らよりはマシだ!」と開き直って帰って来てたけど、内心じゃ「たしかにその通りだよな」とも感じていた。
ただ、本当にやりたいことが見つかるまでは動かないのも1つのやり方だとは、今でも思っている。
仕事がなかった30歳の頃に司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」に、俺が激しく共感したのもそれが理由だった。
「竜馬がゆく」には、激動の幕末を駆け抜けていく男たちが多かった中で、なかなか自分の志を確立できず、結果的に遅咲きとなった坂本龍馬が描かれいていた。
とはいえ、今まさにティータイム的な時間を過ごしている人たちには、今の俺の言葉なんて、殆ど響かないと思う。
一刻も早くティータイムから抜け出したいと願っている人たちからしてみれば、いくら俺が「そういう時間も必要だ」と言ったところで余計なお世話だと感じるはずだから。
ちょっと先の未来をどれだけ先延ばしにしてイメージすることが出来るか。
こういった想像力は、今まさにティータイムから抜け出したいと願っている人が、自分を救うことが出来るかどうかの、物凄く大きなポイントだと思う。


これは、なんか太田光らしいなあと思った。
イケイケのIT社長とか、自己啓発本とかだと、無駄だと思ったらすぐに辞めてしまえ、みたいなことを書いている気がする。
僕にとってのティータイムは三度ある。
一度目は、高校三年生の時だった。
学校の授業すべてが無駄なもののように思えてきて、自分が尊敬できない先生から学ぶことなんてあるわけないと思って、学校をサボって、大学の図書館とか予備校に行って一人で勉強してた。
二度目は、上京したての頃だ。
その時はキャリアで携帯販売の仕事をしていた。
働き始めて二ヶ月が経った頃に、これって時給は良いけど、お金を稼ぐための作業であって、普遍的に使えるスキルなんて、ここでは学べてないんじゃないかという思いが芽生えた。
だから、その月末に辞めて、自分のやりたい業界を探し、IT業界に転職した。
三度目は、今現在シドニーでワーホリをしているこの状況だ。
まるで、上京当初と同じような、お金を稼いでるだけの作業をしているに過ぎないと思えてくる。
だから、この現実を打ち砕くために、二ヶ月後に自分の本当に行きたい場所であるニューヨークへ行くことにした。

ティータイムで厄介なのは、それらしき理由は簡単に見つかることだ。
例えば、今この状況に適当な理由を付けるとするならば、英語を学習するためだとか、貯金する為だとかだ。
それらしき理由があるからこそ、多くの人は二の足を踏んでしまうんだろう。
しかしもし、太田光の言うように、次のアクションが自分でも分からない状態ならば、模索しながらその状況に耐えるしかなかろう。
反対に、次のアクションが分かっているならば、動き出すと言う選択肢以外は無いだろう。
ティータイムの辛さはよく分かる。
僕は恐らく、その状況の時に感じる、時間を無駄にしている様な気分に対する耐性能力が極端に低いので、無理矢理にでも、勝算がなくても、飛び出していた。

あと余談だけど、爆笑問題って、一度三年間ぐらい干されていた。
その干された時期に、相方の田中はコンビニでアルバイトをしていたわけだが、太田光はアルバイトをせず、自宅に引きこもっていたらしい。
その時こそ、まさに太田光にとってのティータイムだったんじゃ無いかと、僕は思うわけで、その時に何を考えていたのか、何をしていたのかを詳しく知りたい。
その時の太田光から学べることはかなり多いんじゃないかと思っている。


マスメディアと普遍性について

アートかエンタメとかいうジャンル分けはどうでもよくて、面白いかどうか。
あるいは、かっこいいとかの感情を揺さぶるかどうか。
「芸能と芸術は違う」「太田くんの考え方は、あくまでもテレビの人の意見だ」って言うわけ。
たしかに、俺の図りは大衆だから、観客や視聴者が喜ぶかどうかしか無いわけで、かつ、できるだけ多くの人に伝えられるメディアと言えば、テレビだから。特にゴールデンタイム。そこで男も女も、子供も大人も、おじいちゃんもおばあちゃんも笑わせるのが一番すごいと思っている。
表現者は「ど真ん中」を目指すべきだ。
その考えに行き着いたのは、アングラの世界に片足を突っ込んでいた時期があるからだと思う。
テレビに出られないことを逆手に取って「テレビじゃとてもじゃないけどできません」という過激な政治ネタや時事ネタをライブでやる。喜ぶ客がいる。すると不思議な事に「テレビなんかに日和るんじゃねえよ」みたいな、内輪モードが出来てくるのね。
爆笑問題は、漫才ブームや「オレたちひょうきん族」をみて「テレビっていいなぁ」と思ってこの世界に入ったはずなのに、「テレビじゃ見られない過激な社会派の漫才コンビだ」なんて狭い世界で評価されると、その期待に答えようと更に過激になっていった。
「こっちはテレビタレントとは違うんだ!」なんて強がって、どんどん閉じていった。
そんな閉じた世界でマニアな客を笑わすのなんて実は簡単で、要は、過激なことを言えば笑うっていうね。
幸い、俺達は片足を突っ込んだだけで帰ってこれたけど、当時、散々耳にした「テレビに日和ってる」とか「大衆迎合的だ」とかの言葉って、俺に言わせりゃ全部いいわけだと思う。
だって、自分たちがせっかく作ったネタなんだから、できるだけ多くの人に見せたいに決まっているからだ。
一方でアートには「普遍性」というすばらしさがあるのも事実だ。
例えば、ダ・ヴィンチね。
仮に、来週から「モナ・リザ」が展覧会で見られるとなっても、「ま、行っとくか」ぐらいの感覚で、テレビほどの影響力はないだろう。
でも、あの作品が誕生してからの時間軸で考えたら、時代も国境も全部超えちゃってるわけで、一体どれだけの人が「モナ・リザ」を見たんだよとなると、テレビなんて圧倒的にかなわない。
俺は、テレビをやりながらも、普遍的な何かを残したいという思いがある。
ただ、その思いは、どっちが偉いってことではなくて、できればその2つが重なるものが作れたら一番いい。
恐らく、ダ・ヴィンチが生きていた時代は、その2つが重なっていたはずだ。
ダ・ヴィンチは絵画だけでなく、飛行機の設計や人体の研究などにも優れていたんだけど、じゃあ、彼の絵画や知識が誰に支持されていたかと言えば当時の大衆だったと思うし、その上で、ダ・ヴィンチは歴史を経ても色あせない普遍性を持っている。


これは、本当に納得する。
今だと分かりやすい例は、テレビとYouTubeじゃないかな。
いまやYouTuberは、芸能人並みに人気を得ていて、テレビを見ている時間よりも、YouTuberの動画を見ている時間の方が長い人もたくさんいるだろう。また、テレビよりもYouTuberの方が、面白いと言う意見もある。
だけど、数字で比べれば、YouTuberの動画よりも、テレビの方が圧倒的に視聴数や費用や影響力は大きい。
作り手としては、多くの人に見られた方が嬉しいに決まっている。
だからもし自分が、SenKuSyaの活動を続けて行く中で、より影響力の大きいメディアに活躍の場を移せるのだとしたら、圧倒的にアウェイだったり、しがらみが多かったり、気を遣うことが多かったりしたとしても、より大きい方へ進んで行く決心をするだろうと思う。
また、余談だが、僕が以前、番組観覧をした時に、そこにあった機材や、関わっている人の多さを、初めて自分の目で見て、この多くの人員とお金と機材の投資がテレビをマスメディアたらしめているんだろうなと実感した。
テレビとYouTuberは、多勢に無勢だと思った。

普遍性に関しては、僕の言いたかったことは、これなんだよってぐらい上手く説明できているなあと、感心してやまない。
より多くの人に届けるのならば、太宰治や、ルソーや、サルトルのように、時代を超えて語り継がれるものにする必要があるのだ。
だから、僕はそれをいつも目指している。
よく、歴史に残る人物になりたいと言っているが、詳しく説明すると、こういうことだ。


今日も結構長くなってしまいましたので、この辺で終わりにしたいと思います。
続きを楽しみにしててください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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それでは、また明日。


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