芥川賞受賞作「しんせかい」を情熱的に感想・レビュー。過去と現在の自分の関係

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Literature(文学), Thinking(考え)

初めまして、都内でフリーランスとして活動中の佐野と言います。
原田さんとは、仕事と読書繋がりで何度かお会いすることがあり、
「senkusyaでブログを書いてみない?」
とのお誘いがありましたので今回お手伝いさせていただくことになりました。
どうかよろしくお願いします。

では、早速本のレビューをしていきたいと思います!

山下澄人の「しんせかい」のあらすじ

大まかなあらすじはこんな感じ

第156回芥川賞を受賞した「しんせかい」
19歳の山下スミト(著者)は大自然の中にある演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。たどり着いた先の[谷]では、俳優や脚本家志望の若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、[先生]との軋轢、地元の女性と同期の間で揺れ動く感情。思い出すことの痛みと向き合い、著者自身が経験したことを描いた自伝的な小説。


しんせかいを読んでの気づき

初めの数ページを読んでみると分かるのですが、初めから終わりまで、書き手の記憶が曖昧で、いい加減ですが、その文体が著者の狙いでもあるのでしょう。

例えば

空気が冷たい。鹿だ。鹿がいた。鹿は真っ黒な目でこちらを見ていた。

意味もない文章を連ねているように見えるのですが、実は、ただ存在するものを誠実に受けとめているのです!

自分以外の存在を認める時、言語以外に、それは存在するでしょうか?(ちなみに愛情は人を許すことができる最も素晴らしい情念です。)自分以外の対象に評価を下す時、人間は皆、己のものさしで自分以外を推し量りがちです。この私の考えも誰かにとって、真っ当な評価を得られないように。
著者は、その一切の境界線を払い捨て、
「ああ、鹿がいる。ただそれだけ。何もいうことはあるまい」と言い切っているのです。
余談ですが動物の中で、同じ感覚器官があるのにも関わらず、言葉を記号として記したり共有できるのは人間だけです。その記号によって、私たちはお互いの思っていることを様々ツールを使って相手のことを知ることができます。それは、本であり、歌であったり、そして記号を発明したのは人間の財産でもあり、それは最終的に私たち人間の不幸の前触れでもあるのです。
(とだいぶ話が逸れましたが、最近読んだルソーの言語起源論に、かなり感化されているので、次回は言語起源論について触れます。詳しくは、次回詳しく書きますので、是非読んでください!)

この著者は、過ぎ去った過去を小説にして振り返っているのですが、話し言葉を多用しているので、長ったらしく、使われる言葉の表現の仕方にはどんな意図があるのかを、非常に限定的にし、かなり意図的に表現をし、想像することの面白さを味あわせてくれない、また、なんの意味もなく言葉を連ねる、ということはなくて読んでて楽しかったです。抽象的な表現は読み手の想像力を掻き立てるのに最も有効な手立てです。また、作者は過ぎ去ったことを書いているようで、実は現在とあまり変わりないことも暗に示しています。

過去の自分はすでに死んでしまったもの、過去の遺物として著者は認識しており、そのことに関しては非常に共感できました。というのも、昨日の自分がしたことなんて、はっきりと思い出せないですし、私は、自分の考えを、過去にまとめた文を読んで、「これ本当に自分が書いたの?」となりがちです。確かに、その考えは自分の中では生きてはいるのですが、こんなことは書くまでもないし、今の自分には今更必要ないことだなと。ただ今に集中する方が優先事項ではありますよね。

何を伝えたかったのか①

物語に出てくる人たちは、演劇の鍛錬をしにきたはずなのに、演劇とは全く関係ない、自分たちが飼っている馬の小屋を建てたり、薪を割ったりと、直接的に関係ないことばかりをしています。おそらく読んでいてツッコミどころ満載だと思うかもしれません。無意味なことが意味のあることに繋がるんだよ!と作者は伝えたいのでしょう。
一方で、主人公はその演劇とはなんの関係もないことをやる中で、何を感じていたのか。次の文で表しています。

面白いというのはその時の状況というか、状態というか、そういうものが大きく影響をするわけで

ものごとは便利になり余裕が生まれるほど切羽詰まれなくなり堕落する

つまり人間は切羽詰まれば詰まるほど、いい功績を残せるということです。不自由な環境にいる、ということは、自分自身を追い詰めて己に内在する誰でも持ち合わせている、秘めた何か、その何かを引き起こす最大の要因となっているのです。どこで革命を起こそうが、自分自身と向き合わないことには、何も新たな発見などないのです。例えば、海外に行くことはいい刺激になるということは認めますが、本来、全ての鍵は自分自身が保有している、と私は思いました。

何を伝えたかったのか②(忙しい人はこの記事から読むことをオススメします!)

この作品のラストは衝撃的な一文で締めくくられています。その一文のためにこの本が存在すると言っても過言ではないでしょう。
おそらくこの一文で作者は、こう言いたかったのでしょう。自分自身が現在進行形で感じていることは確かだが、たとえ一秒前でも、それは紛れもなく過去で、その過去は、もはや今の自分自身とはなんら関係はないし、なんの意味も持たないよ、過去の自分に文句があるなら、今の自分に言わないでくれよな、俺は先へ進んでいるだけだ。そして、ライン作業みたいに、世界で起こっていることは、全て諸行無常である。ただその流れに従うまでだ。以上。
 

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