ワーホリでシドニーに二ヶ月住んで考えること。仕事のこと、言語のこと、都市のこと、人生のこと。

投稿日: カテゴリー: Australia(オーストラリア), Blog(ブログ), Diary(日記), MembersOnly(会員限定), Radio(ラジオ), Thinking(考え)

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は日記を書いていこうと思っています。
いま頭のなかで色々と考えたり、感じたりしていることは、こういう風にどこかに書き残さなければ、自分ですらも忘れ去って、無かったことになりそうな気がするので。


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オーストラリアに来て二ヶ月が経過した。正確には、シドニーに来て二ヶ月だ。僕は今ワーキングホリデーをしながらシドニーで、誰の手も借りずに、一人で過ごしている。
僕にとっては、このオーストラリアが初めての海外なのだが、行く前に不安なことがあったかというと、そうでもなかった。行けば、多分どうにかなるんだろうと思っていた。そして、実際にどうにかなった。
海外で誰の手も借りずに暮らしていくというのは、僕にとっては凄く大きな意味のあることだと思っていた。だけど、いま自分の心に問いかけると、大きな意味なんてないような気がする。むしろ、怠惰なんじゃないかとさえ思えてくる。
何が原因なのかは容易に想像がつく。それは仕事だ。
僕の人生の中で仕事というのは、生きる意味や、生きているという実感を味あわせてくれるものだったんだと、今更ながら思い思い知らされている。
逆に言えば、自分から仕事を取ってしまうと、こんなにも日々が退屈になってしまうのかと実感する。

仕事はもちろん今もしている。してはいるが、それはただお金を稼いでいるだけの作業にすぎない。自分がやっている仕事のことをバカにするわけではないが、そういう風に思えて仕方がない。
よく考えれば、ワーキングホリデーという制度を僕自身が見誤っていたのかもしれない。
ワーキングホリデーは、その名の通り、結局は休暇だ。働くことが出来る休暇期間だ。よく考えれば休暇期間だなんて、まだ一ミリも欲しくない。
ワーキングホリデーは、一箇所で最長半年しか働くことが出来ない。半年で辞めてしまう事が分かっている外国人を、どれだけの人達が必要としているというのだろうか。必要としている人が少ないとわけではない。だが、必要としているのは、ごく限られた種類の仕事だ。率直に言えば、代えの利く仕事だ。それは、この二ヶ月でよく分かった。

そこから僕は何を学ぶことが出来るだろうと、よく考える。
例えば英語。英語が目的で、ワーキングホリデーや留学をする、というのは実際によくあることだろう。英語じゃなくても、なんでもいい。ドイツ語でもフランス語でも。実際にそういう環境に身を置いている人じゃないと分からないかも知れないが、言語を学ぶことにさほど意味はない。
言語を学んだところで、見える世界は広がらない。何でかというと、そもそも僕は言語の壁にぶち当たっていない。英語ができたら、どれだけこの状況を変えられるだろうか、と切実に願ったことはない。
そんな自分にとっては、英語を聞くこと話すことができるようになったところで、世界が変わった実感はさほどない。
多少はあるのだが、殆どのことが、今まで日本語で理解できていたことを、英語という世界共通の言語で翻訳できるようになったに過ぎない。
そう思うと、英語を学ぶ為に外国に行くという選択は、凄いことに見えるけど、実際は大したことでもないことなんじゃないかと、最近思えてくる。
仮に、オーストラリアで一年間過ごすと、全く困らないぐらい英語を使えるようになるという保証があるとしよう。そうだったとしても、僕はそこに、一年間という貴重な時間を投資する気にはならない。
今までと同じように自分自身が成長していくことが絶対条件で、そこに副次的に英語が使えるようになるというような条件でなければ、僕は時間を投資できないんだなと実感している。

僕にとっては東京という場所が、あまりにも快適すぎた。自分が頑張りさえすれば、どんなものでも手に入れることができた。そんな環境は世界中に広がってはいないのだろうか。
シドニーに来た時、世界が狭くなったような感じがした。
実際は世界は広い。全て見て回るにはかなりの時間を必要とするだろう。しかし、その中で自分が満足いく都市は、一体いくつあるか。
もしかしたら、無いのかもしれない。東京ほど、交通網が完成していて、何でも手に入り、最高レベルのサービスを提供している都市は、世界中見て回っても無いのかもしれない。
もし、無いのだとしたら、世界は広いんだが、結局そこで生活することはないので、僕にとってはかなり狭くなるんだろうな。
それを、このシドニーに来た時に凄く考えた。
オーストラリアという広大な土地と、最高の気候を有している国で、一番の都市がこのレベルなのか。世界の都市ランキングで見ても10位以内には入っている。だが、僕からしたら、全然だ。鹿児島の実家に暮らしている時とさほど変わらない。

そのデータによると、東京は世界で3位らしい。ということはもう、東京以上の候補は、ロンドンとニューヨークしか残っていない。かなり狭く感じる。
しかし、ロンドンもニューヨークも、東京より快適なのかは、行ってみないとわからない。
今僕に分かっていることは、このままシドニーで生活をしても、僕にはほとんどメリットはないということだ。
果たして、僕はいま一体何に時間を費やしているのだろうか。そう思うことが多い。そう思うことが多いなら、何かを変えるしか無いのだろう。
諸々の契約で多少時間は取られるが、最短でも2ヶ月後にはここを離れることは出来る。そのお金もギリギリある。
ここを出るときはついでに、ニューヨークに行ってみよう。ニューヨークがどれほどの都市なのかを、この目で直接確かめたい。
昔からずっと、アメリカでプログラマーをしたいという目標があったが、それが本当に自分の心を躍らせるものなのかを確かめたい。プログラマーをするなら、サンフランシスコに行くべきなのかもしれないが、調べた限り、都会ではなさそうなので、ニューヨークにしたい。
もしも、ニューヨークも都会ではなさそうだったら、その時にどうするか考えよう。

話は全く変わるが、何をしたかより、何を残したかのほうが重要だと思って生きている。
楽しくて快適な生活じゃなくても全然かまわない。それよりも、歴史に名を刻める人生を歩んでいきたい。
哲学を学んでいった中で、何の為に生きているのか、という命題を追究した結果こういう思考に落ち着いた。
まあ歴史に名を刻むというのは聞こえはいいが、別の言い方をすると、自分が生きた時間が無かったものにならないようにしたい、ということだ。
未来永劫、誰かの心のなかで生きていたい。
例えば、太宰治のように、自分が死んだ後も、ずっと同じ温度で、人に影響を与える人になりたい。その為には、何か書物を書くしか無いんだろうけど。
今書くとしたら、何が書けるだろう。今書いても下手な自己啓発本になりかねないな。
また、それと同時に、スティーブ・ジョブズのように、世界中を一瞬で沸かせる人にもなりたい。
何かで、いま僕が世界を沸かせることなんて出来るか。どう見積もっても不可能な気がする。
これらを人生の目標と言っていいのか。目標というより、使命のようなものだ。
この二つを実行しなければ、死ぬことさえ出来ない。この二つができれば、何を代償にしたって良いと思っている。
だから、今はやはり、こんなところで停滞している場合ではないなと、シドニーで深く考えているところです。


今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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それでは、また明日。


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