18歳の上京当初と、20歳のシドニー渡豪時の現在を比べてみる

投稿日: カテゴリー: Australia(オーストラリア), Blog(ブログ), Diary(日記), Thinking(考え)

どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。
写真はどちらもマダムタッソーのスティーブ・ジョブズの隣で撮影したものです。左がついこの間、東京を出る前に撮ったもので、右が18歳の時に撮ったものです。

現在僕は、シドニーに移住して1週間が経過したところなのですが、そういえば、この場で過去について振り返ることはなかったなあと思い、今回は上京当初の状況ときっかけを、あまり長くならない程度に話していこうかなと思います。

上京当時

まず、高校卒業直後の進路について。

僕の出身は鹿児島で、当時は鹿児島に住んでいました。地元では有名な進学校に通っており、卒業後の進路はもう大学進学以外の選択肢は誰も考えていなかったんじゃないかと思います。

それで僕も、大学受験をしまして、地元の国立大学に晴れて合格して入学したわけですが、自分としては大学4年間をこの田舎で暮らすのは納得がいかん、どうしても東京の有名大学に通いたい、とそういう風に思ってました。なので、入学は決まっているわけですが、真っ当に通う気はなかったわけです。

そしてまた、高校卒業したら即家を飛び出したい、自分の力だけで生きてきたい、浪人費用も自分で貯めてやる、みたいなそんな風に思っていたので、それではもう、上京して働きながら自分の力で生きていくしかなかろうという結論に達し、受験が終了した直後の2月下旬には、とりあえず上京の費用を貯めることを考えていました。

そして、晴れて卒業式が行われた3月上旬のその日から僕のバイト生活は始まりました。卒業式が終わったら速攻で帰宅し、Skypeで家庭教師のバイトをしていました。

それで、鹿児島の時給は凄く低かったんですけど、そこから猛烈にバイトをし、引越しやウェイターなどをこなしながら、5月中旬時点で、15万円ほど貯めることができました。

それで、そのうち13万円を上京のシェアハウスの初期費用にあて、1万円を飛行機代にあて、残り1万円だけを握りしめて、キャリーバッグを引きずって上京しました。

今振り返ったら、よくその1万円だけで生きてこれたなあと思うんですが、まあ東京に着いて2,3日で携帯ショップの契約社員の仕事をゲットなどして、そこからはまあ色々なことがあって、進学するという選択肢など上京してから2ヶ月ほどで捨てて、営業職をしたり、プログラマーとして働いたり、かなり順調に生きることができ、本当に上京して良かったなと思う生活を手にしたわけです。

ここら辺は、また後の機会に話したいと思います。

シドニー渡豪現在

それでは、続いては、シドニーへの渡豪です。

これに関して、実際にシドニーに飛びだったのは9月ですが、行こうと決めたのは5月頃です。

シドニーに行こうと決めた当時は、何をしていたかというと、憧れの六本木ヒルズでプログラマーとして働いておりました。

そして、シドニーに移住しようと思い立ったわけではあるんですが、僕自身海外に行ったことは一度もなかったので、パスポートを作るところから始まって、航空券をとったり、保険に入ったり、Airbnbで最初の家を決めたりはしましたが、準備したことと言えばせいぜいそのぐらいですね。なので、行くと決めてから1ヶ月後ぐらいに飛びだったとしても貯金額以外、今と大して変わらないんじゃないかと思います。まあ僕が3ヶ月も延ばしたのは、当時の仕事との兼ね合いと、冬に行きたくないなという思いぐらいです。

それで、まず、上京時と違ったのは、家がないということですね。当分1週間の宿しかありませんでした。これに関して思ったことは、定住する家は先に決めておいた方がいいなってことですね。といっても、下見もせずに住む家を決めるのは、ほぼほぼ不可能なので、大概の人はホームステイとか選ぶんじゃないかと思います。しかし、これが何と言っても高いんですね。1ヶ月15万円ぐらいするって書いてあったので、いや、絶対一人で過ごした方がいいだろうと思って、今回は家を決めないという選択肢を取りました。

しかし、家がないというのは、精神的になかなかキツイところがあります。ただでさえ縁もゆかりもない土地なのに、それに加えて、自分の居場所もないという状況が数日続くと、「この場所に自分の居場所なんて、存在しないんじゃないか?」とか思えてきます。

「衣・食・住」が生活の基本だという通り、この中の一つでも欠けたら、まず、とてつもなく帰りたくなってきます。

まあとは言っても、あんだけ啖呵切って行ったのに、ここで帰ると最高にダサいと思ったので、そこから住居探しに移りました。とにかく早く自分の拠点なるものを決めたかったので、7件ぐらいの物件を2日間で見て、限りなく都会に近い家へ即決しました。

それで現在、日本の様な快適さと比べたら、縁遠いですが、まあ生活するには困らないだろう、という家に住んでこのブログを書いてます。

海外に移住するとなると、まず真っ先に皆が心配するのは、言語に関することなんですが、はっきり言って他のことが気になりすぎて、言語のことなど殆ど何も気にはなりません。僕がしていたことといえば、TOEICを毎月ぶっつけ本番で受験するってのを1年半続けたのと、海外ドラマを字幕なしで見るという、勉強という勉強は大してしていないのですが、それでもかなり充分に生活はできます。

英語で家の契約だって、携帯電話の契約だってできるし、銀行口座の開設だって問題なくできます。

それに、何と言ってもスマートフォンという最大の武器を持っているのですから、あらゆることは解決できます。しかも、フランス語やドイツ語やスペイン語じゃなく、英語だしね。

まあ、ここまで着々とあらゆる課題を片付けて、残りしなければいけないことと言ったら、仕事ぐらいです。

もはや、この仕事が見つかれば、何の苦労もなく過ごせるんじゃないかと思っているんですが、これが最大の難関ですね。

「お金がなくなったらシドニーに行け、仕事は溢れている」とネットにたくさん書かれていたので、東京と同じぐらい余裕で探せるんだろうなと思っていましたが、これが全然そんなわけなかったってやつですね。

まず、僕が最初にしようと思っていたプログラマーの仕事ですが、まず日系サイトで探してもほぼ存在しませんね。現地のサイトでも見てますが、なんかそんな簡単に見つかりそうな気配はしません。よく考えてみれば、日本においても、気軽に働けるプログラマーのバイトなんてあまりなかったなあと、さっき思い出しました。なので、方向転換して、取り敢えず適当に働きながら、プログラマーの職業を見つけていくという、上京当時と同じようなことをやっていきたいと思います。

それでは、適当な職を探してみようと、街に求人広告が張り出されていないか今日歩き回っていましたが、これがびっくりするほど無いです。シドニー随一の都会の街並みを見て回ってないのに、求人広告が貼ってないという、これは相当びっくりしました。東京だと、コンビニやスーパー、喫茶店、飲食店と、ありとあらゆるところに求人広告は張り出されていますが、ここにはそんなものは存在しません。

いろんな体験談などを見て、どういう風に仕事をゲットしたか調べていると、自分で履歴書をコピーして、店に出向いて仕事があるか聞きに回る方法や、知人の紹介などが多数紹介されており、この原始的な方法に唖然としました。

まあ、その原始的方法は最終手段だと思い、とりあえず、ウェブサイトを徘徊しまくって仕事を探していきたいと思います。

取り敢えずまあ何にせよ、仕事をしなければ、知り合いができないという、これまた最大級の問題も現在発生しています。現在話す相手といえば、家のオーナーのオーストラリア人のおばあちゃんぐらいしかおらず、シドニーに来て殆ど一人で過ごしているみたいな状況ですが、この状況も仕事をすれば回避出来るだろうと思っています。

あとは、たまに「何でシドニーに今いるんだろう」と自問したりもします。

なんせ、東京にそのまま居れば、快適な暮らしを堪能でき、プログラマーとしても働くことができ、収入も安定する。それなのに、それを捨ててまで、シドニーにいる必要があるのか。

それがあるんですね。不思議なことに。

僕がそもそも海外に移住しようと思い立った考えとして、圧倒的な経験値を積みたいという考えがありました。僕の中では、「知っている快適な生活<<未体験の生活」という図式がいつもあります。オーストラリアに移住することになったので、きっかけをまとめておくでも書きましたが、僕の中では経験値こそが今は全てです。経験値を積むというベースがあってから、何をする、どこに住む、ということを決定します。だから、多少不便なことがあったとしても、自分が未だ、なお経験したことのない世界へ、常に身を置きたいと感じております。そういうモチベーションだから、この今過ごしている生活全てが自分にとっては新たな経験値として積み重なっている気もするし、取り敢えずがむしゃらにやるしかないなとも考えられるんだと思います。

ということで、結論としては、

  • 家を決めておかないと精神的にやばい。
  • 仕事を探すのが上京時ほど簡単じゃなかった。
  • だけど、自分のモチベーションは上京時と案外変わらない。

というところです。

それでは、今日はこのぐらいで、また今度。

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