国富論を読んで考える、大学生活を一切無駄にせずフル活用する方法

投稿日: カテゴリー: Blog(ブログ), Literature(文学), Radio(ラジオ), Thinking(考え)

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は、僕が以前読んだアダムスミスの「国富論」に書いてあった内容について、述べていきたいと思います。


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国富論について

『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。
アダム・スミスの著作は、重商主義の批評および彼の時代に考えられていた新興の経済学の総合体として記述されている。
本書は通常、近代経済学の端緒であると考えられている。
本書は他の経済学者に向けてというよりも、むしろ18世紀当時における平均的な教育を受けた人々に向けて書かれたものである。
したがって、本書は現代の読者にとって古典派経済学(classical economics)の比較的理解しやすい入門としての古典として読み継がれている。
『国富論』は全五篇が経済学の理論書であり、その一部のみを経済学の理論として位置づけることは誤りである。
この書は歴史書ではなく、普遍性を持った理論書であるので、その内容の一部の新旧をもって判断する書物ではない。
その証拠として、後世、ケインズは『国富論』を唯一「四つ切り版」の経済学として、すなわち、唯一完成された経済学書とし、それ以降の経済学をすべてその解説にすぎないとして高く評価している。


この本は何を書いているか一言で表すと、どうすればみんなが豊かになるのだろうか、ということです。

僕は中公文庫が出している本を読んでいるんですが、かなり長いです。
3巻に分かれており、内容はぎっしり詰まって1800ページほど合ったかと思います。

まあ、僕もまだ全て読み終えたわけではないんですけども、今日は、その国富論に書いてあった一つのテーマについて語っていきたいと思います。


徒弟制度とは

国富論が出版された1700年代では、徒弟制度というものが有りました。

徒弟制度というものは、その名の通り、師匠と弟子の関係のことです。

例えば、機械工や製造工などでは、職人となりお金を稼ぐまでに、同業組合が定めた7年ほどの徒弟修業をクリアしなければなりませんでした。

その期間中の弟子の労働の生産物は全て親方のものになり、弟子の生活費は親か親戚が負担していました。
さらに、親方に謝礼を支払うのが一般的だったそうです。

まあ要するに、お金を稼ぐ一般の職人になるまでに、長期の投資をしなければならなかったわけです。

ではなぜ、そのような同業組合が存在していたかというと、そうやって同業組合が市場を牛耳ることによって、自由な競争を制限し、価格の下落や賃金・利潤の下落を阻止するためであったそうです。

また、無給期間の弟子から、有給の職人へレベルアップした後、更に親方になって弟子を持てるようになるには、更なる期間必要だったようです。


そして、アダム・スミスは、長い徒弟修業という制度は、青年に勤勉を育成する傾向をもたないと批判しているんです。

アダム・スミスは、弟子というのは怠惰になりがちで、実際ほとんどの弟子が常に怠惰なのだと言っています。
それは何故かと言うと、弟子にとっては怠惰であろうと、怠惰でなかろうと、自分の利益に直接関係がないからです。

アダム・スミスによれば、長期の徒弟修業は、教育の費用を増大させる一方で、若い人は、長い間労働から何の利益も受けないときは、自然に労働に対する嫌悪を抱くので、徒弟修業は勤勉の週間に悪影響を及ぼすと言っています。

では、アダム・スミスはどういった制度になればいいと思っていたのか。

アダム・スミスの主張は、徒弟制度を廃止し、雇い職人として仕事に比例する報酬を受け取り、かつ材料の損失を自分で弁償することで、若者の勤勉さは増大するだろうということです。

もしも、ある青年が最初から雇職人として働き、彼が遂行できる仕事に比例して給与をもらい、その代わりに、彼がその不器用さと未熟さから材料を損傷することでもあれば自分でその弁償をしなければならない、ということになっていれば、彼は遥かに勤勉に、且つ注意深く仕事に従事するようになるでしょう。

こうすれば、彼の教育は、より効果的で、退屈さも費用も少なくなります。

またそうすることで、誰もが修行期間など必要とせず、簡單に仕事を習得できるようになるので、その仕事に対する求職者が増えます。
そうすると、その職業の賃金は低下します。
すると、その業種の商品の価格も同時に低下するので、社会全体にとっては利益となる、というのがアダム・スミスの主張です。


現代の大学と似ている

とまあ、ここまでざっくりと徒弟制度について説明をしてきましたが、だから何だという話を僕の意見を交えて、ここから紹介していきたいと思います。

現代の社会で考えると、この徒弟修業というのは、大学にそっくりですよね。

今の日本において、無給で働かされる制度はありませんが、大学というところは最早それに近いです。

お金をもらうわけではなく、逆にお金を払って学びに行く。
期間も4~6年とかなり長いです。

「いやいや、学歴を気にしないならば、大学なんか行かなくたって働けるよ」という意見もあると思います。

たしかにそうです。
特にこのネットが発達した現代ならば、お金を稼ぐのにも、スキルを付けるのにも、ありとあらゆる方法があります。

しかし、国家資格はどうでしょう。
医師や教師、弁護士、建築士などは、原則として大学に通わなければいけません。

また「4~6年しっかりと学習した人でなければ、消費者側が信頼できないから当然の措置だ」と考える人もいるかもしれません。

しかし、アダム・スミスはこう言っています。

実際にその人がその仕事に何年従事しているかは、品質には比例しない。我々消費者は、その人が仕事に従事している年数よりも、品質保証の検査を通過したマークが張ってあることで安心する。

まあ、当然といえば当然ですよね。
我々消費者は、品質保証のマークの方をより信頼しているし、学ぶ側にとっても、座学で学んだり、何年も下働きをさせられることなんかよりも、最初から現場に立って、自分の肌で経験して学んでいったほうが効率が良いに決まっている。

これは、以前ホリエモンが「寿司職人に修業年数は関係ない」と言っていたことと似ていますね。


じゃあ、僕は大学を全くの不要なものと思っているかと言うと、別にそうではありません。

学費はやたらと高いし、期間もやたらと長いなと思うことはありますが、大学は教育の最高機関なので、自分が欲すれば専門的な知識はどんどん学べます。

しかし、一般的には、自分のやりたい職業に対して、現場に立って経験する前に、この長い大学での座学があります。
そんな中では、どこが自分は好きなのか、どこに自分が興味があるのか、分からないかもしれません。

だから、大学に通いながら、アルバイトでも何でも良いので、自分がやりたい職業を実際に経験しながら学んでいく、もしくは、自分がやりたい職業を経験した後に、大学に入学して学ぶといったことの方が、よりモチベーションを高く保ちたながら、大学生活の期間とお金を一切無駄にせず、フル活用できると思いました。

僕は大学にはほとんどと言っていいほど通っておりませんが、将来プログラミングやコンピュータ等の技術的な分野を、もっと専門的に究めたいなと思ったときは、どこかの大学に通うかもしれません。

その時は、ぜひとも支払うお金と時間を、遥かに超えるものを身につけたいと思っています。


今日はこのへんで終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは、また明日。


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