オーストラリアにワーホリで来ている大学生が見失いがちなこと

投稿日: カテゴリー: Australia(オーストラリア), Blog(ブログ), Thinking(考え)

どうもこんにちは、SenKuSya代表のKotaです。

今日は、僕がオーストラリアでワーホリとして働いて、疑問に思ったことについて書いていこうと思います。


動画・音声

動画を閲覧したい方はこちら

音声のみの視聴・ダウンロードはこちら(30.42 MB)

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→
会員登録はお済みですか? 会員について


型にはまらない生き方

まず、ワーキングホリデービザを使って、海外の国々に長期滞在する権利があるのは、30歳までだ。

だから、比較的若い人が多い。

僕が今回取り上げたいのは、その中でも学生の人たちだ。
大学を休学してか、もしくは単位を取り終わってきている人たちだ。

そういった人たちが、オーストラリアでわざわざ働く理由は何なのか。

はっきり言ってワーホリという身分は、労働者として最も身分が低い。
なぜなら、ワーホリビザというものは、一つの会社で最大でも6ヶ月間しか働くことが出来ないからだ。

オーストラリアには、雇用形態は3つある。

フルタイム契約という週に38時間以上はたらく正社員のようなもの、パートタイム契約という週に38時間未満のもの、カジュアル契約という時間がよりフレキシブルで決まっていないもの。
このカジュアル契約は雇用者の都合ですぐに解雇することが出来る。

日本の場合は、新人は教育して使えるようにするという考え方だが、オーストラリアの場合は、即戦力を求めて使えなければクビにするという考え方だ。

ワーホリビザの人などは、仮に使えたとしても最長で6ヶ月間しか働けない。
また、日本人は他の国から来た人に比べて英語に弱ので、即戦力として使えない場合が多い。
この2つの理由からカジュアル契約になることが多い。(僕は運良くパートタイム契約でした)

だから労働者としての身分は最も低い。

もし、日本でバイトをすることになれば、自国なので身分が低いことはない。
では、なぜわざわざオーストラリアという地で、その身分が低い立場で働こうとするのだろう。


一般的な理由を考える前に、まず僕がオーストラリアで働く理由を上げておこう。

僕は、特にオーストラリアにこだわりはない。ただ英語圏で、温かい国であればそれでよかった。
そして、日本で充分に経験を積んだと自分で思えたから、日本でこれからも同じように働くよりは、身分が低くなろうと海外で働くほうが、自分の経験や財産になるだろうと考えたからだ。

詳しくはこの記事に書いている。
オーストラリアに移住することになったので、きっかけをまとめておく

だから、当然ただお金だけを求めて働く気はない。

オーストラリアは世界一時給が高い国として有名だが、だからと言って、毎日時間いっぱい働く必要はない。

なぜなら、ワーホリビザでオーストラリアで働くということは、当然代えのきくバイトの役割しか与えられないだろうと思っているからだ。
もしかしたら、どこかで自分の仕事のスキルが認められて、就労ビザがもらえる話を持ちかけられるかもしれないが、そんなのは会社やオーナーなどの様々な要素が絡んできて、結局は運に頼るしかなくなる。
しかも可能性の低い運だ。

そんな運に頼ろうとするなんて、自分で考える力を放棄したも同然だ。
手に入れたいものは、自分の力で手に入れるしかないはず。

また、代えのきくバイトの役割しか与えられないということは、そこで身につくスキルなんてものはたかが知れている。
それなら、同じようなバイトを日本でしても結果は何ら変わらないだろう。
ただ英語が話せるようになるだけだ。

だから、僕がオーストラリアですることは、SenKuSyaを育てることに力を注ぎながら、日本というものを見つめ直し、同時にオーストラリアの文化を自分の経験として隅々まで取り入れることだ。
オーストラリアでの仕事にも、意義を見出して働かないといけない。
ただお金が稼げれば良いという考えではダメだ。
僕は、意義が見出されなければ、モチベーションが湧かない性格なので、そもそも最初からお金のために働く気はないのだが。


ところで、日本から来た学生はどうなのか。

何人かに話は聞いたが、詳しい心情や状況は聞けていないので、あくまでも自分の想像で話をしていく。

まず、共通していることは、彼らは熱心な労働者であるということだ。

オーストラリアに来た理由がその時給の高さからなのかは分からないが、彼らは四六時中働く意欲がある。

その働いて稼いだお金で裕福をするわけではなく、あくまでも貯金をするためらしい。

そして、もう一つ共通していることが、ワーホリが終われば日本に帰って就活をするということだ。

今回の話のテーマはここにある。

大学を休学して来ているのだから、大学は卒業するのが普通の人の選択じゃないかと思うかもしれない。

しかしそれは、日本でしか働いたことのない人たちの共通認識でしかないはずだ。

なぜなら、彼らはこのオーストラリアという異国の地で、自分で家や職場を見つけ、自分ひとりで生きていくという経験を既に身につけているからだ。

また、オーストラリアにワーホリに来るという選択は、今までの人生とはまるっきり違う、型にはまらない生き方なのではないか。

海外に留学する人は近年多くなってきているが、留学することと、現地で働いて生計を立てることは全然違う。
そこには天と地ほどの差があると僕は思っている。

大学生と社会人が全く違うように、自分で働いて稼いだお金だけで生計を立てたり、誰を頼ることなく様々な判断を下すということは、人間として一皮むけることになる。

自分は誰にも頼らず、海外で一人で生きていけるという経験をしたのに、なぜもう一度日本に戻るのかが謎だということだ。

もしかしたら、オーストラリアの生活より、日本の環境や文化のほうが自分には過ごしやすいので、日本で暮らしてくという決断を下しているのかもしれない。
それなら僕にも充分理解できる。

しかし、それは違うようである。

じゃあなぜなのか。

僕には、大学生でオーストラリアにワーホリ出来た人たちは、共通した固定概念を持っているように思われる。
大学は必ず卒業するもの。ワーホリ後は必ず帰国する。就職するなら必ず日本。ワーホリのこの期間はただのバカンスだが、お金を現地で稼ぐことが最も重要。
こういった類のものがそうさせているように思える。

彼らは、日本に戻れば、就活という試練が待っている。
そこは、学歴が多大な権力を持つ。
そして就職したその後は、型にはまった生き方になる。

オーストラリアにワーホリで来るという、型にはまらない生き方をしている彼らには、そういった型にはまった生き方はつまらないかもしれないという懸念さえある。

それなのに、なぜその道を選ぼうとするのか。
その道を選ぶのは、自分の意思決定を超えた、当然そうあるべきものなのか。

学歴がなくても生きていけるし、貯金もできるということを体験したのに、今さら学歴や就活が本当に必要なのか。

学歴がなくても生きていけるってことは、充分分かったじゃないか。
帰国しなくても、面白そうな行ってみたい国があれば、帰国せずに次はそこに行けばいいじゃないか。
海外でも充分に働いて生活できるじゃないか。

そういう風に僕は思う。

そして、目の前のお金を稼ぐことに夢中になっているようだが、バイトをするなら、日本でやっても変わらないんじゃないか。
オーストラリアのバイトで身につくスキルは、必ず日本のバイトでも身に付けることが出来る。

逆に、オーストラリアでバイトに時間を割くことによって、この国でしか出来ないその他沢山のことをする時間や経験を失ってやしないか。
それでは本末転倒ではないか。

そんな疑問を僕は持たずにはいられませんでした。


オーストラリアに一年滞在して働けるという機会は、人生でたった一度しかない。

僕は、この地でしか経験できないものを掴み取れるような一年にしたい。

ここでの経験が、自分の人生にとって無くてはならない財産にできるように、目の前の利益や固定観念にとらわれずに、一つ一つの選択をしていきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは、また明日。

最近読んでいる本


少しでもいいなと思ったらシェア・いいね! よろしくお願いします!

コメントを残す