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火花を情熱的に感想・レビュー。情熱的な生き方とはズバリこの事だと思った。

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どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。 最近情熱に関して、思うところがたくさんあるなと思ったので、今日は情熱をテーマにした小説である、又吉直樹の「火花」について語っていきたいと思います。 「火花」については、以前も取り上げたことがありましたが(火花を読んで。理想を生きるということ。)、前回は基本的に動画で僕が話しているだけで、記事としては残っていなかったのと、その時の気持ちと今では、また気持ちが変わっているなと思ったので、今回改めて、記事としてきちんとまとめたいと思います。 [amazonjs asin="B01685OSEO" locale="JP" title="火花"] [adsense_tag] ラジオ感覚で聞きたい方は、動画でどうぞ 後ほど追加します。 情熱を持って生きているか 自分の原動力はなんなのか。自分は何のために、エンジニアとして働いたり、ブログを書いたり、アプリを作ったり、文学を読んだりしているのか。 絶対に違うと言えることは、決してお金のためではないということだ。それが目的なら、もっと効率の良い手段はあるだろう。 何のためにやっているのかと問われれば、それが自分の心を果てし無く躍らせるからだ。 逆に言えば、今やっていることでも、今までずっと続けてきたことでも、それが自分の心を今までのように最高に踊らせなくなったと感じたのなら、いくら今までそこにお金と時間と努力を費やしてきたとしても、颯爽とやめるべきだと、僕は思っている。 だからこそ、自分が今やっていることについては、毎日毎日、その行動を起こす前に、一度、「本当にこれを、今自分はやるべきなのか?」という問いをかけるべきである。 たった一回そうじゃないと思っただけで、じゃあすぐにやめろとまでは言わないが、それが数回連続で続くようなら、間違いなくやめるべきである。 その問いをかけた時に、「今やるべき!」という結論が出たのなら、そこには、何かしらの情熱を持っているはずだ。少なくとも自分はそう思っている。 情熱というのは、やる気という意味でもあるが、それよりも僕は、それにかける想いや、自分がずっと信じている美徳や、言い表せないほどの熱い感情なんじゃないかと、最近思っている。 そういう情熱を自分は持っているのか?今ははっきりと持っていると答えることができる。 「情熱なんていらなくない? クールにスマートに行動した方がカッコよくない? 物事を冷静に客観的に判断できる人の方が凄くない? 情熱が一体どれだけのお金や名誉や地位をもたらしてくれるっていうの?」 そう思う人もいるかもしれない。金持ちで、偉い役職についていて、常に俯瞰的な立場から物事を言っている人の方が、凄い人物に思うかもしれない。 だけどそうじゃない。 前回、『サルトルの「嘔吐」を読んで考える、自分という存在への、意味の持たせ方』という記事をアップして、そこにも色々と書いたが、自分の人生に価値をもたらしてくれるものっていうのは、意外とそういうものじゃない。そういう、自分が死んだら、後に残らないものじゃない。 そういう、富や名誉や地位を求める欲求よりも、たった一つ比類なき情熱を注ぎ込める人の方が、圧倒的に強い。 圧倒的に強くて、圧倒的に良いものを後世に残せる。そして、圧倒的にカッコいい。 それはもう、誰が何と言おうと、間違いはない。逆に言えば、あらゆる状況において、それだけが唯一ぶれないものだ。 だけど、そういう果てしない情熱を持っている人が、身の回りにどれだけいるか。自分の友人、会社の同僚、先輩、兄弟、そういう人に聞いてみたらどうだろうか。物凄く少ないはずだ。 これを読んでいるあなたは一体どうでしょう。揺るぎない、情熱や哲学や美徳を持っていますか? 持っていないなら、是非、情熱を持っているということが、どれだけ素晴らしいことなのか、この「火花」という文学から感じ取ってほしい。持っている人なら、この「火花」という文学を読んで、それをこの先の人生でずっと信じられるように、自分の中で揺るぎのないものとして確立して言ってほしい。 それでは、前置きは長くなったが、「火花」から僕が感じたことを述べていきたいと思う。 笑いとは何か、人間とは何か、葛藤とは何か 売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。 「火花」という小説のストーリーは、端的に言うと、売れない芸人がどう生きていくか、というそこに焦点を当てた文学だ。 そこに描かれているのは、笑いとは何か、を深く追求する僕であり、 芸人を目指すという人生を選択した僕と神谷の二人であり、 自分の考え方や感じ方と全く違う世間からの評価であり、 圧倒的天才に置いてけぼりにされないよう、なんとか追いつこうとする、僕の葛藤である。 この文学を読み終えた時に、情熱に生きる人生というものは、こういうことなのかと、一つのモデルを深く体験できたような気になる。 ここには紛れもなく、一人の(現実よりも)濃い人生が詰まっている。 なので、このブログでは、最も印象に残ったセリフを三つに絞って、それに対する自分の考えも合わせて綴っていきたいと思う。印象に残った部分は他にもたくさんあるので、最後に全部まとめておきます。時間がある方は、是非そちらも読んでみてください。 不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった  出来ないのだ。神谷さんが、この漫才を面白くないと言うのなら、もう僕には出来ない。    僕は神谷さんとは違うのだ。僕は徹底的な異端にはなりきれない。その反対に器用にも立ち回れない。その不器用さを誇ることも出来ない。噓を吐くことは男児としてみっともないからだ。知っている。そんな陳腐な自尊心こそみっともないなどという平凡な言葉は何度も聞いてきた。でも、無理なのだ。最近は独りよがりではなく、お客さんを楽しませることが出来るようになったと思っていた。妥協せずに、騙さずに、自分にも噓を吐かずに、これで神谷さんに褒められたら最高だと一人でにやついていた。昔よりも笑い声を沢山聞けるようになったから、神谷さんの笑い声も聞けるんじゃないかと思っていた。でも、全然駄目だった。日常の不甲斐ない僕はあんなにも神谷さんを笑わすことが出来るのに、舞台に立った僕で神谷さんは笑わない。    神谷さんが、何を見て、何を面白いと思っているのか、どうすれば神谷さんが笑ってくれるのか、そんなことばかり考えていた。美しい風景を台なしにすることこそが、笑いだと言うのなら、僕はそうするべきだと思った。それが芸人としての正しい道だと信じていた。    僕は本当に自分に噓を吐かなかっただろうか。    神谷さんは真正のあほんだらである。日々、意味のわからない阿呆陀羅経を、なぜか人を惹き付ける美声で唱えて、毎日少しのばら銭をいただき、その日暮らしで生きている。無駄なものを背負わない、そんな生き様に心底憧れて、憧れて、憧れ倒して生きてきた。    僕は面白い芸人になりたかった。僕が思う面白い芸人とは、どんな状況でも、どんな瞬間でも面白い芸人のことだ。神谷さんは僕と一緒にいる時はいつも面白かったし、一緒に舞台に立った時は、少なくとも、常に面白くあろうとした。神谷さんは、僕の面白いを体現してくれる人だった。神谷さんに憧れ、神谷さんの教えを守り、僕は神谷さんのように若い女性から支持されずとも、男が見て面白いと熱狂するような、そんな芸人になりたかった。言い訳をせず真正面から面白いことを追求する芸人になりたかった。不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった。    神谷さんが面白いと思うことは、神谷さんが未だ発していない言葉だ。未だ表現していない想像だ。つまりは神谷さんの才能を凌駕したもののみだ。この人は、毎秒おのれの範疇を越えようとして挑み続けている。それを楽しみながらやっているのだから手に負えない。自分の作り上げたものを、平気な顔して屁でも垂れながら、破壊する。その光景は清々しい。敵わない。 […]

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又吉直樹の新刊「劇場」を情熱的に感想・レビュー。滅びの美しさを描く作品。 

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どうも、佐野です。前回、ルソー著作の「言語起源論」について次回はレビューすると告知しておりましたが…思ったんですよ、哲学書の感想って何書けばいいんだろ、って。なぜなら、小説と違って、哲学書は論文的なものであるから、それを逐一、解説?するのもおかしいな〜って。(単に私の力不足)私が哲学書のレビューをするなら、きっと文中から引用するだけのものになると思う。笑 さてさて、言い訳は終わりました!早速レビューをしていきたいと思います! 又吉直樹の新刊「劇場」を読んでみた 言わずもがな、芸人の又吉直樹が書いた小説です。話題作となった「火花」で、私、思わず涙。それが次回作に興味が惹かれるきっかけとなり、最近発売された「劇場」を読んだのですが、実はこれ、「火花」よりも前に書いていたそうで、二年もかかったとか。今回読んだ「劇場」は読者によって、好みが分かれそうなジャンル、つまりラブストーリーですが…。否、ラブストーリーだけで括られない気がする。 あらすじ 舞台は東京。主人公永田は脚本家を目指し、上京してきた。そんな永田が一目惚れした女、沙希と出会うことによって、物語は進む。沙希も上京してきた身で、永田と付き合うと同時に、永田は沙希の優しさに甘え、ヒモ同然の生活を送っていた。それが沙希をだんだんと追い詰めているとは気付かずに、次第に二人の関係は崩壊していく.. 物語を読み解くキー ・永田と沙希は演劇が好き ・永田と沙希は上京してきた者同士 ・永田と沙希のやりたいことへの執着度 [amazonjs asin="4103509511" locale="JP" title="劇場"] 深読みするために必要な予備知識 いきなりですが、太宰治が書いた「斜陽」という作品で、太宰は滅びの美しさを描いています。又吉直樹自身も、太宰を崇拝していることもあって、この「斜陽」から何かしらの影響を受けたはずです。「劇場」を初めから終わりまで読んで、私は「劇場」に「斜陽」に近いものを感じ取りました。ここでいう滅びの美しさとは?例えば、戦時中の日本では、戦争に出向くことは、死と、少なからず、イコールだった日本人にとって、「敵地へと赴く彼らの姿は、勇敢で、誇り高いものだ」そう思ったことでしょう。映画「永遠の0」のラストの描写で震えたったのを今でも覚えています。また、ある夫婦がいたとして、夫は妻が居ながら、頻繁に他の女と遊び呆けている一方で、妻は家で、ただただ夫の帰りを待つ。なぜただ、待ち続けることができるのか?それは妻は夫のことを愛しているが故、もちろん、そこに明確な理由は存在しないし、それを論理立てて解き明かしたり、言語化するなどと言ったことは到底できないので、妻が夫を思いながら家で一人、待ち続ける行為を、私はただ「愛しているからでしょ」で片付けてしまうが、愛しているからこそ、夫のことを許せるのだ。夫が帰ってきた時、一体どれくらい痛みが分かる笑顔で、妻は夫に「ただいま」と言うのか。その儚くも廃れる存在をみて、私たちは何を思うのでしょうか。 何を伝えたかったのか①(印象に残った部分) 永田は、自意識が高すぎて、高みをいつまでも目指していていて、その理想と現実のギャップに苦しんでいます。この自意識というのは、自我の意識、元を辿れば、それは周りとの差異によって生まれる嫉妬心に、過ぎないのですが、逆境によって人は活動的になることは否めません。反対に、沙希は無学が故に、ただ生活ができればいいと言った具合でしょうか。日々の生活、明日の朝ごはん、ドラマの続き..etc。 作中の印象的な文がこちら 嫉妬という感情は何のために人間に備わっているのだろう。なにかしらの自己防衛として機能することがあるのだろうか、嫉妬によって焦燥に駆られた人間の活発な行動を促すためだろうか、それなら人生のほとんどのことは思い通りにならないのだから、その感情が嫉妬ではなく諦観のようなものであったなら人生はもっと有意義なものになるのではないか。自分の持っていないものを欲しがったり、自分よりも能力の高い人間を妬む精神の対処に追われて、似たような境遇のもので集まり、嫉妬する対象をこき下ろし世間の評価がまるでそうであるように錯覚させようと試みたり、自分に嘘をついて感覚を麻痺させたところで、本人の成長というものは期待できない。他人の失敗や不幸を願う、その癖、そいつが本当に駄目になりそうだったら同類として迎え入れる。その時は自分が優しい人間なんだと信じ込もうとしたりする。この汚い感情は何のためにあるのだ。人生に期待するのはいい加減やめたらどうだ。自分の行いによってのみ前向きな変化の可能性があるという健やかさで生きていけないものか。この嫉妬という機能を外してもらえないだろうか。 ※諦観(ていかん)は、現状を受け入れる潔さ、悟って諦めること、という意味。 物語の最後で沙希は、”自分が東京に圧倒されて、自分の意思で抑制できないほどの喪失感を味わったから、もうどうすることもできなくて、諦観する立場へ行ったんだよ。”という意味合いの言葉を永田に伝えています。沙希という人物像は、作中では純粋極まりない女性として描かれて、また沙希の将来に対するビジョンも描かれていなく、純粋が故に、嫉妬が生み出すパワーというものを理解できず、理解の範疇は超えているけれども、そのパワーを持ち合わせている永田を、ただただ尊敬の眼差しで見ていました。当たり前ですが、作中では沙希の心情が全く読み取れないのでこの考えが、果たして正しいかどうかは分かりません!もっとも、一概に良し悪しを判断できないというのは、小説の醍醐味ですね。 何を伝えたかったのか②(まとめ) 永田は変わらない存在、沙希は変わってゆく存在として描かれていて、永田の変わらないところは、何かと戦う執念を持ち合わせていること。沙希の変わったところは、二つあって、どっちか分からないのですが何かと戦う執念を自分は持っていないと気づいたこと、または、ただ単に戦う執念を捨てたこと。この二つのうちどれかでしょう。 永田は生き続ける存在、沙希はあとは死にゆくだけの存在の対比を描いた作品。永田は囚われ続け、沙希は解放されたとも言えるでしょう。また、男性が女性に対する思いと実際に行動することとのズレも書かれていて、多分、どの男性も交際経験のある方ならば、「劇場」を読むと、自分のことのように思うのではないでしょうか。女性も男性のことをより理解を促せるきっかけとなるのではないでしょうか。結構奥が深いので、何度も読むに値する本だと思います!続きが気になります! [amazonjs asin="4103509511" locale="JP" title="劇場"]

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芥川賞受賞作「しんせかい」を情熱的に感想・レビュー。過去と現在の自分の関係

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初めまして、都内でフリーランスとして活動中の佐野と言います。 原田さんとは、仕事と読書繋がりで何度かお会いすることがあり、 「senkusyaでブログを書いてみない?」 とのお誘いがありましたので今回お手伝いさせていただくことになりました。 どうかよろしくお願いします。 では、早速本のレビューをしていきたいと思います! 山下澄人の「しんせかい」のあらすじ 大まかなあらすじはこんな感じ 第156回芥川賞を受賞した「しんせかい」 19歳の山下スミト(著者)は大自然の中にある演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。たどり着いた先の[谷]では、俳優や脚本家志望の若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、[先生]との軋轢、地元の女性と同期の間で揺れ動く感情。思い出すことの痛みと向き合い、著者自身が経験したことを描いた自伝的な小説。 [amazonjs asin="4103503610" locale="JP" title="しんせかい"] しんせかいを読んでの気づき 初めの数ページを読んでみると分かるのですが、初めから終わりまで、書き手の記憶が曖昧で、いい加減ですが、その文体が著者の狙いでもあるのでしょう。 例えば 空気が冷たい。鹿だ。鹿がいた。鹿は真っ黒な目でこちらを見ていた。 意味もない文章を連ねているように見えるのですが、実は、ただ存在するものを誠実に受けとめているのです! 自分以外の存在を認める時、言語以外に、それは存在するでしょうか?(ちなみに愛情は人を許すことができる最も素晴らしい情念です。)自分以外の対象に評価を下す時、人間は皆、己のものさしで自分以外を推し量りがちです。この私の考えも誰かにとって、真っ当な評価を得られないように。 著者は、その一切の境界線を払い捨て、 「ああ、鹿がいる。ただそれだけ。何もいうことはあるまい」と言い切っているのです。 余談ですが動物の中で、同じ感覚器官があるのにも関わらず、言葉を記号として記したり共有できるのは人間だけです。その記号によって、私たちはお互いの思っていることを様々ツールを使って相手のことを知ることができます。それは、本であり、歌であったり、そして記号を発明したのは人間の財産でもあり、それは最終的に私たち人間の不幸の前触れでもあるのです。 (とだいぶ話が逸れましたが、最近読んだルソーの言語起源論に、かなり感化されているので、次回は言語起源論について触れます。詳しくは、次回詳しく書きますので、是非読んでください!) この著者は、過ぎ去った過去を小説にして振り返っているのですが、話し言葉を多用しているので、長ったらしく、使われる言葉の表現の仕方にはどんな意図があるのかを、非常に限定的にし、かなり意図的に表現をし、想像することの面白さを味あわせてくれない、また、なんの意味もなく言葉を連ねる、ということはなくて読んでて楽しかったです。抽象的な表現は読み手の想像力を掻き立てるのに最も有効な手立てです。また、作者は過ぎ去ったことを書いているようで、実は現在とあまり変わりないことも暗に示しています。 過去の自分はすでに死んでしまったもの、過去の遺物として著者は認識しており、そのことに関しては非常に共感できました。というのも、昨日の自分がしたことなんて、はっきりと思い出せないですし、私は、自分の考えを、過去にまとめた文を読んで、「これ本当に自分が書いたの?」となりがちです。確かに、その考えは自分の中では生きてはいるのですが、こんなことは書くまでもないし、今の自分には今更必要ないことだなと。ただ今に集中する方が優先事項ではありますよね。 何を伝えたかったのか① 物語に出てくる人たちは、演劇の鍛錬をしにきたはずなのに、演劇とは全く関係ない、自分たちが飼っている馬の小屋を建てたり、薪を割ったりと、直接的に関係ないことばかりをしています。おそらく読んでいてツッコミどころ満載だと思うかもしれません。無意味なことが意味のあることに繋がるんだよ!と作者は伝えたいのでしょう。 一方で、主人公はその演劇とはなんの関係もないことをやる中で、何を感じていたのか。次の文で表しています。 面白いというのはその時の状況というか、状態というか、そういうものが大きく影響をするわけで ものごとは便利になり余裕が生まれるほど切羽詰まれなくなり堕落する つまり人間は切羽詰まれば詰まるほど、いい功績を残せるということです。不自由な環境にいる、ということは、自分自身を追い詰めて己に内在する誰でも持ち合わせている、秘めた何か、その何かを引き起こす最大の要因となっているのです。どこで革命を起こそうが、自分自身と向き合わないことには、何も新たな発見などないのです。例えば、海外に行くことはいい刺激になるということは認めますが、本来、全ての鍵は自分自身が保有している、と私は思いました。 何を伝えたかったのか②(忙しい人はこの記事から読むことをオススメします!) この作品のラストは衝撃的な一文で締めくくられています。その一文のためにこの本が存在すると言っても過言ではないでしょう。 おそらくこの一文で作者は、こう言いたかったのでしょう。自分自身が現在進行形で感じていることは確かだが、たとえ一秒前でも、それは紛れもなく過去で、その過去は、もはや今の自分自身とはなんら関係はないし、なんの意味も持たないよ、過去の自分に文句があるなら、今の自分に言わないでくれよな、俺は先へ進んでいるだけだ。そして、ライン作業みたいに、世界で起こっていることは、全て諸行無常である。ただその流れに従うまでだ。以上。   [amazonjs asin="4103503610" locale="JP" title="しんせかい"]

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サルトル「嘔吐」を情熱的に感想・レビュー。自分自身の人生へ意味を持たせる為に、大事なこととは。

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SenKuSya代表の原田です。 今日は、最近読んで感銘を受けた、サルトルの「嘔吐」というフランス文学について、思ったことを記していきたいと思う。 [amazonjs asin="4409130315" locale="JP" title="嘔吐 新訳"] [adsense_tag] ラジオ感覚で聞きたい方は、動画でどうぞ 後ほど追加します。 存在の意味について 例えば、道端に石ころが転がっていたとする。多分誰も気にも留めないだろう。 公園に行くと、大きな木が生えていた。大きな木が生えているなあということぐらいしか、思わない。 自分という人間がいる。よく分からないで生きてるけど、「生きている」ってことは、たしかに感じ取れる。 石ころや、大木と比べると、「存在」という観点では、私という人間の「存在」は価値が違うはずだ。 キリスト教の考えによると、人間というものは、神様が、自分と似せて造ったらしい。 だから、石ころや、大木と違って、人間が存在するのには、然るべき理由があるはずだ。だって、神様が作ったんだから。 いや、果たして本当にそうだろうか。 人類の起源は、猿から進化したとか、色々あるし、本当に、自分という存在の意味は、石ころや大木より、勝った特別なものなのか。 多分違う。石ころや、大木と何ら変わらない、たまたま、偶然、今という時間に、ここに存在するだけだ。 存在するということに、特別な意味はない。ただ、そこにあるだけ。それだけだ。 「嘔吐」の導入部分は、ざっくり言うと、こんな感じだった。 カート・ヴォネガット・ジュニアの「タイタンの妖女」では 存在している意味について。 自分でもいろいろ考えてみたし、様々な本を通して学んだことも沢山有る。 以前紹介したが、アメリカ文学の、カート・ヴォネガット・ジュニアが書いた「タイタンの妖女」では、 人間が生きる意味、存在している意味は、大したことじゃない。 そもそも、意味なんか必要ない。 意味なんか無くたって、自分が考えたこと、経験したこと、感動したことは、偽りのない、本当のことだろ? それだけが、この世で、唯一信じられることだろ? だから、安心して生きて良いんだよ、 と書いてあった。 タイタンの妖女を読んで。SFという形式を借りた、”優しい”哲学書に出会いました。 生きる意味を、考えずに生きる。たしかに、そういう手もある。 生きる意味なんて、そんな小難しいことを考えるのは、哲学者に任せて、自分は自分の思うように生きる。 生きる意味について、真剣に考えてる人なんて、ごく少数だろう。僕自身、この溢れんばかり人がいる東京で、そんなこと考えてる人とは、たった数人しか出会ったことがない。 だけど、僕は、ここを考えるのは、とてつもなく重要な事だと感じている。 以前考えていた生きる意味 以前の僕は、自分が生きる意味は、「この世界に、自分が生きていたという、爪痕を残すため」と思って生きていた。 だから、世界中で使われるサービスを、自分自身で生み出したかったし、自分が世界に何か、どでかいインパクトを与えたいと思っていた。 世界に爪痕を残せなければ、自分という存在は、自分が生きていたという証明は、自分の身近な数人にしか共有できないことだと思っていた。 しかし、どうやらそれは間違っていたようだ。 事実は、「自分の身近な人にすら残せない。いや、自分自身にすら残らない。」ということだった。 それが、この、サルトルの「嘔吐」という本を読んでの、一番の気付きだ。 自分は、今たしかに生きている。間違いない。 そして、自分は、今、色々なことを考えている。 エンジニアとして習得したいスキル、やってみたいサービス、訪れてみたい国、読んでみたい文学作品、太宰治について、ロックバンドカッコイイなあ、その他もろもろ。 今、僕がそういうことを考えている、ということも紛れもなく真実だ。 しかし、それは、現時点での真実でしかない。 2週間前、僕は、一体何を考えていたのか。何をしていたのか。 そんなことは、最早、僕自身ですら分からない。 多分、こう考えていたんだろう、こういう仕事をしていた、っというのは分かる。 だけど、これは真実ではない。 そして、こんな記憶も、1ヶ月も経てば、また変わっているだろう。 僕は、その時点では存在していたんだろうが、時が経った今、振り返ってみると、よく分からない。 振り返ってみて、よく分からないことに、意味なんてあるはずがない。 […]

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タイタンの妖女を情熱的に感想・レビュー。SFという形式を借りた、”優しい”哲学書に出会いました。

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どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。 今日は、僕が今まで読んだ、文学の中で、一番長かった、タイタンの妖女について、語りたいと思います。これはアメリカのカート・ヴォネガット・ジュニアという作家が、書いた本なんですけど、この本の長さといったら、もうたまらないんですが、しかし、内容がとても面白いので、退屈するようなことは、ありませんね。 [amazonjs asin="4150117004" locale="JP" title="タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)"] ラジオ感覚で聞きたい方は、動画でどうぞ 後ほど追加します。 爆笑問題 太田光が超絶オススメ もともと、僕がこれを読んだきっかけと言うのは、僕は、芸人の爆笑問題の太田光さんが、とてつもなく好きなんですね。漫才が好きというよりも、彼の生き方、考え方、思考の深さ、みたいなところを、尊敬してるんですけど、彼は、昔から、物凄く本を読むらしいんですね。 だから、僕も真似して、彼がオススメしてる本ってのは、結構読んでるんですけど、その中でも、このタイタンの妖女は、自分の読書の中で、最高傑作だと行ってるんですよ。太宰治とか、宮沢賢治とか、ジョン・アーヴィングとか、サリンジャーとか、世界中のいろいろな作家の本を読んでいて、この中にも感動する作品は、たくさんあるのに、それでもなお、これが一番だって、言い切ってるんですよ。そしたら、これを読まないわけには、いかないだろうと、そう思って、読み始めました。彼の事務所は、タイタンってところなんですけど、これもこの、タイタンの妖女から、取ってきたらしいので、より一層、気になった次第です。 タイタンの妖女って、どんな話? それでは、早速タイタンの妖女の内容に入っていきたいと思います。内容を簡潔に説明すると、以下のとおりです。 時空を超えた、あらゆる時と場所に、波動現象として存在する、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードは、神のような力を使って、さまざまな計画を実行し、人類を導いていた。その計画で操られる、最大の受難者が、全米一の大富豪、マラカイ・コンスタントだった。富も記憶も奪われ、地球から火星、水星へと、太陽系を流浪させられるコンスタントの行く末と、人類の究極の運命とは?巨匠がシニカルかつユーモラスに描いた感動作。 まあ、この説明だけで、想像できる人は、かなりの強者です。 もう少し具体的に説明すると、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードという人物が、ある時、宇宙のブラックホールみたいなところに、飛び込むんですね。そしたら、神のような力を、手にするわけです。宇宙をまたいで、あらゆる場所に出現することが出来て、未来を予知することが出来るという、そんな力をですね。 そこで、主人公である、マラカイ・コンスタントという人物がいるんですが、この人は、もう親が稼いだ金で、全米一の大富豪なんですが、めちゃくちゃしてるわけですよ。特に、才能に優れているわけでも無いんですが、とにかく、運が良いんですね。運のよさだけで、カネを稼いでるわけなので、めちゃくちゃ傲慢なんです。そのコンスタントが、ラムファードの予知によると、地球を救うのに、欠かせない存在だとなるわけです。 それで、まあ、結論から言うと、このコンスタントは、ラムファードの予知に、一ミリも逆らえないんですね。全てがラムファードの予知通りに進むってわけです。 それで、地球での記憶を全て、奪われ、火星に飛ばされたり、水星に飛ばされたり、最後に、土星の衛星であるタイタンという星に飛ばされるわけなんです。 この本をとおして、ヴォネガットが伝えたかった、メッセージとは? 地球から、タイタンに飛ぶまでの経緯は、是非とも自分の目で確かめてほしいので、このブログでは、じゃあ、この作家が伝えたかったメッセージは何なの?、という結論だけ、述べたいと思います。 この小説では、宇宙が誕生した理由、地球が誕生した理由、人類が繁栄した理由、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードが神のような力を手にした理由、そして、マラカイ・コンスタントが、こんなに宇宙を放浪して、最終的にタイタンに到着した理由を、たったひ一つの理由で、片付けてしまいます。 それで、その、これまで人類が繁栄してきた理由ってのは、タイタンに不時着した、どこかの星から来た宇宙人の、乗ってきた宇宙船の、故障した部品を届けるためだったってオチです。 え、それだけ?僕たちが生きてきた理由って、たったそれだけ?ってことが、この長い物語のミソなんです。 つまり、作家のヴォネガットが伝えたかったのは、人間の生きてる意味なんて、大したことじゃないよってことです。そして、意味なんかあってもなくても、自分が考えたこと、経験したこと、感動したことは、偽りのない本物だろってことです。だから、安心して生きて良いんだよってのを、このヴォネガットは、この物語を通じて教えてくれるんですね。 そういうわけで、この物語は、哲学的な問いのようなモノを、すごく優しく解決してくれるんですね。そういう意味で、僕は大好きな小説です。いまは、量子力学の世界から、いまのこの世界、現実は、実は、誰かが作ったシュミレーションゲームのようなもので、仮想現実なんじゃないかって説も、あるじゃないですか。 だから、どうしたってわけです。仮に、仮想現実だとしたら、生きてる意味がなくなるってのか。そういうわけじゃないんですね。どういう意図で、自分がここに存在しているのか、まあ、そういうことは関係ないんですね。 勿論、それを専門的に調べる人たちも沢山いますが、そういうことは、それを調べたい人に任せて、僕たちは、意味とか意図とか、そんなんじゃなくて、純粋に、やりたいことをやって、生きていこうよ、もし、何か、意図があるのだとしたら、それは絶対的なものだから、僕たちが、どうこうやって、生きたって、結果は変わらない。だから、自分の、生の、本当の、経験や、感動、情熱ってのを、大切にして、歩んでいこうよって、思いました。 僕の感想としては、ここで終わりなんですが、この物語には、こころ打つ名言が、たくさん紹介されていたので、それを紹介したいと思います。 タイタンの妖女の中に、散らばる名言集 はじめて真実の愛を知るときを、たのしみに待ちたまえ、ビー。貴族性の外面的な証拠をなにひとつ持たずに、貴族らしく振舞うときをたのしみに待ちたまえ。きみが神から授かった威厳と知性と優しさ以外になにも持たなくなるときを、たのしみに待ちたまえ──それらの材料だけで、ほかのいっさいを使わずに、すばらしく美しいなにかを作りあげるときを、たのしみに待ちたまえ わしがランサム・K・ファーンにもしおまえのツキが落ちたらこの手紙をわたしてやってくれとたのんだわけはだれしもツキがあるうちはなにも考えんしなにも気がつかんからだ。そんなことする必要がどこにある?    だからせがれよ、わしにかわってまわりを見まわしておくれ。もしおまえが無一文でだれかがとっぴょうしもない相談をもちかけてきたとしたらわしはその話に乗れと忠告するよ。なにかをまなぼうという気になったらおまえはなにかをまなべるかもしれん。たった一つわしがこれまでにまなんだことはこの世には運のいい人間と運のわるい人間とがいてそのわけはハーヴァード・ビジネス・スクールの卒業生にもわからんということだ  新しく興味ある惑星を見る機会と、あなたの故郷の惑星を新しく美しい客観的な角度から見る機会を、さしあげたいので 善が、悪ほどたびたび勝利をあげることができないという理由は、どこにもない。勝利はすべて組織力の問題だ。もし、天使というようなものが存在するなら、せめてマフィア程度の組織力は持ってもらいたい 「あきれたもんだぜ、相棒」と彼は声に出していった。「おれたち、こんな宇宙の真ん中でなにしてるんだ? こんな服着てなにしてるんだ? このばかげたしろものの舵をとってるなあ、だれなんだ? なんでおれたちゃ、このブリキ缶に乗りこんだんだ? なんでおれたちゃ、むこうへ着いたらだれかを鉄砲で撃たなきゃならないんだ? なんで相手はおれたちを撃ちにくるんだ? なんでだよ?」とボアズはいった。「相棒、なんでだか教えてくれ 「おまえはおれに大ニュースを知らせにきた」とボアズはいった。「『ボアズ、おれたちは自由になれるぞ!』とおまえはいった。それでおれは興奮しちまって、自分のやってたことをおっぽりだし、自由になろうとした。  それからおれは、自由になるんだぞと自分にいいきかせた。そして、それがどんなことなのか考えてみた。おれの見えるのは人間どもだけだった。やつらはおれをこっちへ押しこんだり、あっちへ押しのけたりする──そして、なにをやっても気にくわず、なにをやっても幸せになれないもんだから、よけいにカッカする。それからこんどは、おれがやつらを幸せにしなかったのをブツクサいいだし、また押しあいへしあいをやらかすんだ レッドワインの会衆が、べつに風変わりなわけではない。べつに狂信者ぞろいというわけではない。地球には、みずからにハンディキャップを課して、しかも幸福でいる人間が、文字どおり何十億といるのだ。  なにが彼らをそんなに幸福にしたかというと、もう他人の弱点につけこむ人間がだれもいなくなったからである ラムファードは、宇宙のさすらいびとの気持ちを読みとった。「連中は、これがあべこべでも、やはりおなじように喜ぶんだよ」 「あべこべ?」宇宙のさすらいびとは聞きかえした。 「もし大きな報酬が先で、大きな苦しみがそのあとにきても、さ」ラムファードはいった。「彼らが好きなのは、その対照なんだ。事件の順序はどっちだって気にしない。つまり、どんでん返しのスリル── きみがこれまでの人生でやった善いことを、たったひとつでいいから話してみたまえ──思いだせる範囲で むかしむかし、トラルファマドール星には、機械とはまったくちがった生物が住んでいた。彼らは信頼性がなかった。能率的でもなかった。予測がつかなかった。耐久力もなかった。おまけにこの哀れな生物たちは、存在するものすべてなんらかの目的を持たねばならず、またある種の目的はほかの目的よりもっと高尚だという観念にとりつかれていた。この生物は、彼らの目的がいったいなんであるかを見出そうとする試みで、ほとんどの時間を費していた。そして、これこそは彼らの目的であると思われるものを見出すたびに、その目的のあまりの低級さにすっかり自己嫌悪と羞恥におちいるのが常だった。そこで、そんな低級な目的に奉仕するよりはと、生物たちは一つの機械をこしらえ、それに奉仕を代行させることにした。これで、生物たちには、もっと高級な目的に奉仕する暇ができた。しかし、いくら前より高級な目的を見つけても、彼らはその目的の高級さになかなか満足できないのだった。そこで、より高級なかずかずの目的に奉仕するよう、かずかずの機械が作られた。そして、これらの機械はあらゆることをみごとにやってのけたので、とうとう生物たちの最高の目的がなんであるかを見つける仕事を仰せつかることになった。機械たちは、生物たちがなにかの目的を持っているとはとうてい考えられないという結論を、ありのままに報告した。それを聞いて、生物たちはおたがいの殺し合いをはじめた。彼らは目的のないものをなによりも憎んでいたからである。やがて彼らは、自分たちが殺し合いさえもあまり巧くないことに気づいた。そこで、その仕事も機械たちにまかせることにした。そして機械たちは、〈トラルファマドール〉というのに要するよりも短い時間で、その仕事をやりおえてしまった 「なにが起こっても、どんなに美しい、それとも悲しい、それともうれしい、それとも恐ろしいことが起こっても」と、マラカイ・コンスタントはタイタンで家族に告げた。「おれはもうぜったいに反応しない。だれかが、それともなにかが、おれをある特別な方向へ行動させたがっているらしいとわかったとたんに、おれはてこでも動かなくなってやる」彼は土星の環を見あげ、口もとを歪めた。「なんとまあ絶景じゃないか」彼はぺっと地面に唾を吐いた。 「もし、なにかとんでもない計画におれを使おうと考えているやつがいたら、そいつはその時になってがっかりしないことだな。この彫刻のどれかを思うように動かすほうが、よっぽど楽だろうから」  彼はまた唾を吐いた。 「おれに関するかぎり、この宇宙はなにもかもバカ高い値段のついたゴミ捨て場だ。おれはバーゲン品を探してゴミ山をひっかき回すのにあきあきした。いわゆるバーゲン品というやつにかぎって、細いワイヤで花束爆弾につながってやがるんだ」彼は三たび唾を吐いた 「機械だって?」とサロはいった。たどたどしい口調で、コンスタントやビアトリスやクロノより、むしろ自分に聞かせるように。「たしかにわたしは機械だ、そしてわたしの種族も」とサロはいった。「わたしは設計され、制作された。わたしを信頼できるものに、能率のいいものに、予測できるものに、耐久力のあるものにするためには、どんな経費も技術も惜しみなくつぎこまれた。わたしは、わたしの種族の作りうる最高の機械だった」  サロは自問した。「そのわたしは、どれほどすぐれた機械であるかを立証したろうか?」  サロはいった。「信頼性? わたしは目的地へ着くまでメッセージを開かないだろう、と信頼されていた。だが、いまわたしはその封を破ってしまった」  サロはいった。「能率性? この宇宙で最大の親友を失ったいま、わたしは枯葉の上をまたぐのにも、これまでラムファード山を越えるのに使った以上のエネルギーを要するようになった」 […]

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火花を情熱的に感想・レビュー。理想を生きるということ。

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皆さんは今、自分の理想を生きていますか? もしくは、理想に向けて生きている途中ですか? 自分の夢に向かって、ひたむきに頑張ってる姿というのは、誰が見ても応援したくなるものです。 自分が挑戦すればするほど、それだけ何かにぶつかる機会もあるとは思いますが、それにめげないでほしいです。 今まさに何かに挑戦している人に向けて、又吉直樹の「火花」に感動的なセリフがあったので、今回はそれを紹介したいと思います。 [amazonjs asin="4167907828" locale="JP" title="火花 (文春文庫)"]

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青年は荒野をめざす。ジェニーの肖像。感受性を磨くということ

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今回は音声のみです。 今日は感受性を磨くことの重要性について話しています。自分の感受性がビンビンに働いている時って意外と短いかもしれないから、そういった時に捕まえられた感動は本当に貴重だと思います。自分の感受性次第で、あらゆる物の価値を捉えられたり、見極められたりするので、そういった感受性を常に磨き続けておくことは、とても重要ではないかと日々考えたりしてます。 紹介していた本はこちらです。 [amazonjs asin="4167100347" locale="JP" title="青年は荒野をめざす (文春文庫)"] [amazonjs asin="4488566014" locale="JP" title="ジェニーの肖像 (創元推理文庫)"]

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うれしい悲鳴をあげてくれを情熱的に感想・レビュー。誕生日を祝う理由が自分を進化させる。死を意識して生きる。

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どうも、こんにちは。本日誕生日を迎えた方は、誕生日おめでとうございます。さて、どうして私たちは誕生日を祝うのでしょうか。子供の頃は、誕生日にはプレゼントがもらえるのが楽しみで、誕生日が来るのが楽しみで仕方なかった。しかし、もう僕は大人になった。欲しいモノを誕生日におねだりするなんてこともあまりない。それでも、誕生日は祝う。それはなぜか。歳を重ねれば重ねるだけ、間違いなく僕は死に近づいていく。言わば、誕生日なんてものは死へのカウントダウンに変わりない。それなのに何で…… というわけで今回はそんな誕生日を祝う理由について述べていきたいと思います。 「うれしい悲鳴をあげてくれ」(いしわたり淳治) 前回も話す内容をこの本から持ってきましたが、今回もここから持ってきました。ちなみに前回の記事はこちら。 何かヒラメキたい方に向けて。ヒラメキの4Bって知ってますか? この本は考えさせられる内容がたくさん書いてあるので、今後も何度か取り上げるかとは思います。ご興味ある方は是非買ってみてください。 [amazonjs asin="4480431225" locale="JP" title="うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)"] 誕生日は僕に進化のきっかけを与えてくれる 誕生日は見方によっては、ただ死に近づくだけに見えますが、それは僕に進化のきっかけを与えてくれるものだと気付かされました。 この本では擬人化した誕生日とある男の会話形式で物語が進んでいきます。そして次のように言ってます。 (誕生日)「動物が進化し、姿を変えてきたのは死の恐怖から逃れるためだ。永遠に生きられると知ったら生き物は学習や努力を辞める。死の恐怖がなければ進化をやめてしまうのだ。気づかなかったかもしれないが、お前自身も少しずつ進化していた。」 「おれは一年に一度、ありのままのお前の姿を教えに来ていたんだ。」 毎年、たしかに男と誕生日の間にはたいした会話はなかった。しかし、男は誕生日の冷たい瞳の中に写った自分の姿を見て、ふと我に返り、将来に焦り、悩み、苦しみ、もがいた。恰好の悪い部分をなおし、自分を戒めようとした。まさに少しずつ進化していたのだ。そしてその「進化」にまつわる悲喜こもごもが、男の人生に美しい彩りを添えてきた。 年に一度、自分の姿を振り返らせてくれる、その機会が誕生日だということです。「あれ、自分このままで大丈夫か?」とか「何歳になったから変わらなきゃ!」とか「自分が思い描いてたこの歳ってどんな印象だったかな?」とか、思うことは人それぞれ違うとは思いますが、その考えさせるきっかけを与えてくれることが重要なんだと思います。たまに自分が進んできた軌跡を振り返ってみて、ああだこうだと真剣に考える機会が一年に一度あるのはとても良いことなんじゃないでしょうか。そこで、自分が間違っていると思ったら正してみたり、思い通りにいってなかったら悩んでもがいたり、次こそはと自分を戒めてみたり、将来の像と現実が離れていたら焦ってみたり、そうやって大きく、もしくは少しずつでも、進化できる機会が誕生日にはあるんだ、とそう思って誕生日を祝いましょう。 本では誕生日について筆者のコメントが次のように書いてあります。 ぼやぼやしていると誕生日が来る。みんなも気をつけたほうが良い。僕も先日、ふいに27歳になった。今回も当たり前のように誕生日を祝ったが、何故祝うのか僕は実際のところ、よくわかっていない。だからもうこれからは、こんな感じで自分の「進化」を祝っているのだと納得することにした。 まったく。誕生日ってやつはいつも少し気が早い。時間に厳しくて、絶対に遅刻しない。こっちに心の準備が出来ていようがいまいがお構いなしだ。しれっとした顔で、少し早い時期から僕の心のデリケートな部分に土足でずかずかと上がり込んで来たかと思うと、どっかりと腰を下ろして、ひとこと「んで、お前これからどうすんの?」と、こうだ。まったく気の利かない、無礼なやつだ。でも、まあ仕方がない。こいつが来ないといまごろ僕は、まずいやつになっていたか死んでいたかのどちらかなのだから。 「んで、お前これからどうすんの?」って誕生日から問われるように書いてある所が素晴らしいですよね。自分がこれからどう生きるかっていうのを誕生日は考えさせてくれます。たとえいくつになっても考えるんじゃないでしょうか。毎日毎日、学生の方は学校に行って、社会人の方は会社に行って、自営業の方は自分のサービスを販売してます。この生活がこれからもずっと続くわけじゃなく、いつか終わりが来るってことは誰もが分かっていると思います。昨日も一昨日も先週も同じことをしていたから、今日も僕は私は同じように学校に行ったり、会社に行ったり、同じサービスを販売したりするんだっていう風にならないように気を付けてください。一つ一つのことに意味を持ってください。いつか終わってしまうことなんですから。そこに意味を持たせて、何の為に自分はやっているのかを把握しなければ、日々が惰性で過ぎていきます。 死を意識して生きる スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチでこのようなことを言っています。 「もし、今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」 それに対する答えが”No”の日が何日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。 僕は、この言葉を何十回も何百回も思い返します。ジョブズは常に死を意識して行動してました。死こそが最高の発明だ、と言っていました。僕たちは、衣食住に困ることはなく、街はいつも平和で、死は意識しづらいことかもしれません。いま僕達が気にしているかもしれない、外部からの期待や、己のプライドや、屈辱や挫折やその他の恐怖は、死んだら全てなくなります。だから、死ぬ覚悟をもてたら、そんなことは気にならなくて、なんでも行動に移せるんじゃないでしょうか。常に死を意識していれば、もっと密度の高い、惰性じゃなくて一つ一つの行動に芯を持った日々を生きられるんじゃないか、とまあそんなことを思いました。 ということで、今日はこのへんで終わります。それではまた今度。 [amazonjs asin="4480431225" locale="JP" title="うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)"]

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うれしい悲鳴をあげてくれを情熱的に感想・レビュー。ヒラメキたい。いいアイデアを。しかるべきときに、すっと。

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ヒラメキたい。いいアイデアを。しかるべきときに、すっと。いい感じで、さり気なく。 仕事をするときとか、何か新しいサービスをしたいなとか考えていると、ときどき煮詰まってくることがあります。そんな状況を打破できるかどうか分からないが、何やらヒラメキの4Bと言うものがあるらいです。 「うれしい悲鳴をあげてくれ」 何気なく本屋さんで手に取ったこの「うれしい悲鳴をあげてくれ」という本に、冒頭の文言含め、ヒラメキの4Bについて書いてあって、なるほどなるほどと思ったので、今回紹介したいと思います。 [amazonjs asin="4480431225" locale="JP" title="うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)"] 著者のいしわたり淳治 著者について少し紹介しますが、この方は、ロックバンドのSUPERCARのメンバーで全曲の作詞とギターを担当していました。僕もこの本きっかけでSUPERCARの音楽は少し聞くようになりましたが、やはり色んなところで高い評価を受けているだけあって、素晴らしい曲が多いですね。 ヒラメキの4B では、前置きはこのくらいにして、本題のヒラメキの4Bに入りたいと思います。 Bed まず1つ目は「Bed」ですね。 この本の中では次のように言っています。 たしかに眠る前のベッドの中というのはヒラメキまくる。で、朝にはだいたい忘れている。これだとばかりに書き留めておいても、改めて読み返してみるとまるで使えない、ということも多い。それでも、ポール・マッカートニーのように「朝起きたら”イエスタデイ”がまるっと一曲頭のなかで鳴っていたんだ」なんていう例もあるくらいだし、ベッドはあなどれない。 僕は倒れるようにして、眠りにつくことが多いんですが、たまに「よし、寝るか!」ときちんと気合いを入れて寝る時は、眠りにつくまでに30分ぐらい猶予がありますので、そこで色々考えるますね。次の日のこととかよりも、さて次は何をしようかみたいなことをです。そうすると、不思議と何かしらのアイデアが生まれてくるので、それを頭のなかで発展させていって、とりあえずどういう風に成功に持っていくかみたいなのを考えます。それで、ここで考えたものってのは朝には90%ぐらい忘れますので、スマホでも何でも良いので、書き留めておくと、あれなんだっけ?みたいなことにはならないです。そして、何か浮かんだら、気が済むまで考え尽くすことをオススメします。次の日が特別に朝早いとかじゃなければ。その時が一番色々浮かびますから。 Bar そして2つ目は「Bar」ですね。 この本では次のように言ってます。 わざわざヒラメキを探しにバーに行ったことがないから分からないけれど、ヒラメキと酒。この相性はどうなのだろう。飲みながら浮かんだアイデアは、どれもそれなりのものが多い気がするけれど。 本の中では、お酒にしか注目していないですが、僕はこのバーというスポットに可能性を感じるんですよね。バーという場所は、お酒を飲む目的ってよりも、マスターなり、一緒に来た人や、隣にいるお客さんなり、相手は誰でも良いんですが、誰かと話す目的で来るんじゃないかなって思ってます。まあ僕はまだ未成年なので想像ですけど。お話してお酒を飲むこと以外することないですから、そこでは色々な話が思う存分出来るんじゃないかなって思っています。そうやって話していくうちにアイデアも浮かんでくるんじゃないかなって思ってます。是非とも成人した暁には、1人で色々なバーを巡りたいなと思います。 Bus ヒラメキの3つ目は「Bus」です。 この本では次のように言ってます。 公共の乗り物はいい。好きだ。車内はまるで目的の違う他人同士による偶然の組み合わせだから、そこには思いがけない風景が生まれる。そういうのは見ていると面白い。 これは、僕の感想としては、ほのぼのしていいなって感じです。僕は、バスが好きなんですよね。電車とかよりも断然。特に、遠くの街に行くときは出来ることなら僕はバスで行きたいですね。鹿児島から東京に出てくる時も、本当はバスに揺られながら時間をかけて色々思い巡らせながら来たかったんですけど、飛行機のほうが格段に料金が安かったのでおとなしく飛行機で来ました。バスはほのぼのとしてますので、革新的なアイデアよりも、ああそう言えば、みたいなアイデアのほうが浮かぶかなと僕は思います。長めのバスに乗って音楽でも聞きながら、窓から街の景色や行き交う人びのを眺めてぼーっとしていれば、不意に何かが浮かぶかもって感じですかね。 Bathroom 最後に4つ目は「Bathroom」です。 この本では次のように言ってます。 バスルームはそこにいるだけで、何となくリラックス効果があると思う。考えてみると、シャンプーの途中に背後にオカルト的な気配を感じて慌てて振り返ったりしてしまうのも、実はバスルームだは感覚が研ぎ澄まされていることの証拠なのかもしれない。普段の暮らしでは気づけない「何か」を本当にキャッチしてしまっているだけなのかもしれない。まあ、インスピレーション(ヒラメキ)には霊感の意味もあるくらいだし。 バスルームはもうダントツですね。僕にとってはダントツのヒラメキスポットです。いま僕が徹底的に何かを考えたり、ヒラメキを求めたりする時には、一番活用する場所です。ヒラメキというよりも瞑想に近いかもしれませんが。何かをじっくり考える時に大事なのは、周りに邪魔するものが何もないって状態かなと思ってます。そういう意味では、バスルームはシャンプーとボディーソープとお湯しかありませんから、最高のスポットです。もし、防水のスマホとか持ってるなら、音楽とか流してみるのも良いかもしれません。よく、風呂場で動画見たり本を呼んだりする人がいますが、折角何か徹底的に考えられる時間が1日に1度あるんだから、それは近くのカフェか何かでしたほうが良いと思ってますね。風呂場で何か考える時のコツは、入る前にテーマを持って入ることですね。ちなみに僕の場合は、「もうこんな時間か、風呂入るかー。んーそれにしてもこの件はどう対応しようか」ガラガラーって感じです。 付け加えてもう1B まあここまでが一般的に言われているヒラメキの4Bですが、ここに、いしわたり淳治がもう一つ足すんですね。それが「BAKAになる」です。 この本では次のように言ってます。 部屋を掃除しながら思った。頭の中の記憶も同じように、バシバシ捨てたり、びしっと整頓できたりしたら、どんなにいいだろう。でも実際は、知ってしまったことは勇気を出せば忘れられるというわけではないし、結局そういう要らない知識や先入観が邪魔をして新しいヒラメキが浮かんでこないなんてこともよくある。まったく。 「いくら知識があっても使いたい時に思い出さなければ、それは知らないのと同じこと」 世界で一番整頓の難しい場所は、間違いなく自分の頭の中だ。要らない知識や先入観を忘れたい。いっそ、バカになりたい(BAKA ni naritai)。これが僕の5つ目のヒラメキのBである。 これは確かにそうですね。まあバカになるっていうか、「これがイケそうだ!」って思ったら、周りの意見とか先入観とかを気にせずに、自分を信じて突き進める方が良いよねって話ですね。世の中には色々な人がいるから、当然色々な生き方があると思うんですけど、どんなことがあろうと自分自身だけには忠実に生きたいですねってことで、今日は終わりにします。 それではまた今度。 [amazonjs asin="4480431225" locale="JP" title="うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)"]

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コンビニ人間。旅のラゴス。文学から学ぶ、人生の価値観 セミナー開催12/4(日)

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SenKuSya代表の原田皇侍です。 今回はセミナーの告知です。 皆さん、文学についてはどのように思っていますか。よく会社や団体など、色々な場所で「本を読みなさい」と言われますが、文学作品を読みなさいと言われることは少ないのではないでしょうか。今回はそんな文学に焦点を当てたセミナーを開催したいと思います。 [amazonjs asin="4163906185" locale="JP" title="コンビニ人間"] [amazonjs asin="4101171319" locale="JP" title="旅のラゴス (新潮文庫)"] 文学作品は何の為に読むか まずは単純に作品として面白いから娯楽として読む、というのが挙げられるかと思います。確かに文学作品は、私達を時間を忘れて没頭してしまうほどの世界へ引き込みます。しかし、一般的なアニメやマンガ、ドラマなんかとは違うのは、常に受け身の姿勢だけではその面白さを堪能できないという点ですね。 人間の本質に迫れる 文学作品は時には、登場人物の心情を細部まで表現する為に、難解な言い回しを用いることがあります。その作者の表現力を自分の読解力で受け止め切れないと、恐らく作品を楽しむこと自体が難しくなるでしょう。しかし、これ自体は特に難しいことではありませんし、難しい表現が出る度にスマホなりなんなりで調べれば良いだけの話です。そうして、登場人物の心情を深くまで知ることで、人間の本質というものを知ることが出来ます。 仮想の経験ができる 文学作品の中の登場人物は、人間のある部分だけを特筆させた人間ばかりです。そのような人物が、自分たちと同じような世界の、特定のある部分を生きた時にどう感じ、どのような行動をするか。また、何かアクシデントが起きた時にどう対応するか。それを知ることで、生まれ変わらなければ実際には体験できないような、様々な感情や出来事を、仮想の状況として経験が出来ます。 対象作品の紹介 文学作品を読む理由をざっと説明しましたので、ここで今回セミナーの対象にする作品を2つご紹介します。 コンビニ人間(村田沙耶香) まず1作品目は、2016年の芥川賞を受賞した「コンビニ人間」です。 [amazonjs asin="4163906185" locale="JP" title="コンビニ人間"] この作品の主人公は「感情無き模型」です。世の中の常識とか当たり前だと言われることが、自分には理解できず、納得できない。常に自分は合理的な考え方をするが、それが周りとは合わない。だから、そんな主人公の視点から見る世の中は、実に滑稽なもので溢れているんです。それで、これを取り上げる目的は、常識というものを改めて考えさせられ、また自分がいま、会社なり学校なり行っている本当の目的は何なのか、みたいなことを考えるきっかけを与えてくれるからです。 旅のラゴス(筒井康隆) そして2作品目は、「旅のラゴス」です。 [amazonjs asin="4101171319" locale="JP" title="旅のラゴス (新潮文庫)"] 作者の筒井康隆さんは、この作品も十分に有名なんですが、最も有名なのは「時をかける少女」ではないでしょうか。この作品の主人公は「学問を追求する旅人」です。そしてこれはSF作品ですがSFメインではなく、日常に上手く溶け込んでいます。そして、主人公は特殊能力は殆ど使えないんですね。そんな主人公に感情移入することで、知識の重要性を学べます。そして、人生全てを「旅」に捧げた主人公から、旅とは何かを考えさせられます。 最後に 今回のセミナーはネタバレを含みます。作品を紐解きながら価値観を学ぶからです。まだ、作品を読んだことないという方は、セミナーに来る前に読み上げるのも良いですが、読んだことない方も十分に理解できるようなセミナーにしますので、読んでなくても構いません。 それでは、当日たくさんの方のご参加をお待ちしております。 イベント詳細 日時:2016年11月5日(土)14:30〜16:30 料金:3,500円 場所:EX会議室 品川 (東京都港区高輪3-25-18) JR山手線 品川駅から徒歩1分 [mappress mapid="1"] お申込みはこちらから 前回のセミナー動画はこちら 11/5のセミナー動画公開「才能開花」 ※無料会員登録必須