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桐島部活やめるってよを情熱的に感想・レビュー。人生の意味を問い続けると、最後は自己実現に落ち着く。

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どうもこんにちは、SenKuSya代表の原田です。 今週は、先日ふと何気なく見た映画「桐島、部活やめるってよ」が最高すぎて、深すぎて、この素晴らしさをぜひとも共有したい、と思ったので、この映画ついて語っていきたいと思います。 [amazonjs asin="B00ANFT8R8" locale="JP" title="桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) Blu-ray"] ラジオ感覚で聞きたい方は、動画でどうぞ [youtube "https://www.youtube-nocookie.com/embed/cWcvBV3-ee4"] 見たことあるけど、よく分からなかったって感想が多い この映画を実際に見たことあるけど、結局何がいいたかったのか、何がしたかったのか良く分からなかった。そういう人はたくさんいると思います。それはなぜかって言うと、この映画は登場人物が心情を何も発言してくれないんですね。だけど、それこそが、この映画にリアリティを生み出している根源なんです。 例えば、東出くん演じる、人生に迷う菊池という高校生が出てくるんですが、「おれは、どういうふうに生きたらいいか分からなくなってる」とか、「おれは実際空っぽなんだ」とか、一切言わないんですね。 よく青春ドラマでは、「俺はこの試合に人生かけてるんだ」とか平気で入れますけど、あれは観客に分かりやすくするために入れてるだけなんですよね。実際そんなこと言う人なんて見たこと無いし、実際いたら、青春ドラマかお前は!、漫画の読みすぎだ!、とツッコまれてると思います。 だから、この映画では一切言いません。実際の人生では、そんなこと言わないんで、よりリアリティを持たせるために、全てカットしてます。それが、この映画の理解を難しくしてるんですが、それだからこそ、裏に秘められている真意とかメッセージ性は大きいんです。 いきなりだけど、桐島くんとは? まず、簡単にストーリーを話すと、この映画ってのは、桐島くんという、勉強が出来て、スポーツも出来て、女の子にもモテるという、完璧な高校生が、突然部活を辞めるってことになって、それが学校中で大騒ぎになるって話なんですけど、結論から言うと、この桐島くんってのは、最後まで一切出てこないんですね。 桐島は出てこないけど、桐島がいなくなることで、皆が大騒ぎになるっていう映画なんですけど、じゃあ、その桐島ってやつはこの映画で何を表してるかって言うと、高校生の象徴みたいなもんなんです。高校生が目指すべき像、そういうものを描いていて、それが急にいなくなった時に、どうすればいいか分からなくなる人ってのを描いているんです。 ですが、これは何も、高校生活だけにとどまらず、一般的な社会で言うと、社長が突然辞めるとか、天皇が突然いなくなっちゃうとか、そうなることで、その社会に属しているものってのは、大概パニックになっちゃうよ、っていう、そういう普遍的なことを描いているんですね。 生きる意味が分からなくなる高校生 そして、この映画の主人公は、小説は、東出昌大演じる菊池くんなんですが、映画では、神木隆之介演じる映画部の前田くんに、焦点が多く当てられてる気がしますね。 それで、この東出くんなんですが、彼も、桐島と似たような感じで、スポーツは万能で、勉強もできて、彼女もいてって言う、万能型の人間なんですが、彼は、全てが出来てしまうがゆえに、俺が本当にやりたいことはなんなのかってことを見失ってしまってるんです。高校生活だけじゃなくって自分の人生にも意味が見えなくなって、何のために生きるのかがよく分からなくなってるんです。 野球部でエースなんですけど、じゃあ上手く野球をやってたとして自分にとって何なのか、よくわからなくなっています。彼女もいますけども、彼女との恋愛も楽しくないんですね。 東出くんにしてみれば、もう野球とか恋愛とか、それら含めた全てに意味が無いことに気づいてるんですよ。勉強についてもそうで、勉強していい大学に行って、いい会社に入って、給料沢山もらって、お金をもらって、いい嫁さんもらって、じゃあ一体それが何なのかと、それ自体に意味が分からなくなってしまっているわけですよ。そんなことして一体なんになるんだという感じになってるんです。 劇中の中で、ある人物が、バスケ部を見て、「どうせ私たちは負けてしまうのに、負けるってわかっているのに何で頑張っているのかしら。」っていうセリフが出てきますけども、これはまさに人生そのものなんです。人生とは、どうせどんなに頑張ったって、どんなに金持ちになったって、どうせ死ぬんですよね。何もかも消えてなくなるんだったら、何のために生きてるんだろうってことを、問うてるわけです。 金持ちになって、すごく最高な暮らしをして、じゃあそれに何の意味があるのか、どうせ死んじゃうじゃないのか、ってとこまで考えさせる映画なんです。 神がいなくなっても全くぶれない3人 ここで、桐島くんがいなくなっても全くぶれない人が3人出て来ます。 一人は野球部のキャプテンです。野球部のキャプテンは、何でいつまでも引退しないのって聞かれて、「いや、ドラフトが来るまではね。ドラフトが来るまでは頑張るよ。」って言うんです。いや、来るわけねえだろ、馬鹿じゃねのかって、周りの人は感じると思うんですよ。 しかし、このキャプテンが演じているのは、他の神を待つ信仰者なんですね。つまりこのキャプテンっていうのは、来るわけもないドラフトっていうのを待ち続けて、それのために生きているんです。いわば、来るわけもない神様を信じている人ですね。絶対に来ないものを、来るわけのないものを待って、それで生きていける人です。 しかし、これも、絶対にかなわないってことを身に染みた時、どうするかっていう問題をはらんでいます。このキャプテン自身には、自分の信じる神がいるから、他の神(桐島くん)がどうなろうと、関係ないんですが、自分の神がいなくなった時は、同じように、パニックになるので、根本的な解決にはなってないというわけです。 そして、他にぶれないのが二人いて、それが映画部の神木くんと、吹奏楽部のキャプテンです。この二人は何故ぶれないか、これは、やりたいことを見つけているからなんです。 社会のシステムとか、金儲けであるとか、出世であるとか、学歴であるとか、そういったものは関係ないんですね。好きなものが見つかっている人には、やるべきことがわかっている人には。別にそんなフィクションとか関係ないんですね。システムとか嘘っぱちなことは関係ないんですね。 そして、この二人は、どちらも失恋するんですが、その失恋した想いっていうものをそれぞれの打ち込んでいる芸術に昇華させていきます。どちらも自己実現という形にするんです。 意味なんて、考えてない そして、最後、生きる意味を失ってしまった東出くんと、神木くんが屋上で出会います。その時、東出くんがでカメラを触らせてくれないかと言います。それは、自分は生きる意味がわからなくって辛いのに、なんで神木くんはカメラを持って楽しそうにしてるんだろうと、このカメラに特別な力があるんじゃないかっていう感じで、思うからです。ここには、自分がまだ気づいていない、生きる意味が隠されてるんじゃないかと思ってるわけです。 そして、そのカメラを通して、東出くんは神木くんに質問するわけです。 何で映画とってるの?映画監督になりたいの?女優と結婚したいの?アカデミー賞が欲しいの? これは何を聞いてるのかというと、結果として望んでいるものは?目的は?目標は?意味は?ってことを。本質的には聞いてるんです。 そしたら神木くんは照れながら、 「いやー、映画撮っていると、好きな映画とつながっているような気がして」としか答えないんです。 意味とか、結果とか、目標とか考えたことなくて、ただ好きでやってるんだ、って言ってるんです。 え、たったそれだけって感じです。ですが、ここが大逆転の瞬間なんです。 どういうことかって言うと、東出くんは全てにおいて完璧で勝利者でした。なんでも持っていました。だけど、たった一つ持っていなかった。それは意味や目的だったんです。しかし、神木くんは、意味とか関係ないし、やりたいことがあるからやってるとだけだと答えて、それによって、神木くんは、すべてを持っている東出くんに勝ったんです。 この映画が伝えたかったとこは、好きなことやってるやつが勝ち それで、この映画が伝えたかったことは、好きなことやってるやつは勝ちだってことです。それで上手くいかなくたって別にいい、好きなことをやってるんだから。なんか結果がければ、なんか意味がなければと思っているから、勝ち負けってのが出てくるってわけです。 哲学とか、生きる意味とか、そんなものを追求した時に、じゃあ自分って結局何すればいいんだっけと言うのに、必ずぶち当たると思うんですけど、その時の解決策ってのは、結局、自己実現なんですね。自分の考えを本にしたり、作品にしたり、何か形にしてみんなに伝えるっていうそういうことに落ち着くと思うんです。 そういうことを、改めて考えさせられた映画ということで、これを皆さんに伝えたかったというわけです。 自分はどちら側の人間? この映画を見て、へえ、そうなんだで終わりじゃないんですね。そんなもので終わる映画じゃなくて、じゃあお前はどっちだって言うのを、考えるべきものだと思うんです。 僕は、どうかって言うと、何も価値を求めず、好きなことだけを追求するってのはまだ無理です。そんな境地には達していません。 しかし、やり方は自分で決めさせろよって思ってます。そういう意味では、神木くんによりかもしれません。 ただの自己実現で終わらせるのではなく、しっかりと結果を出したいという気持ちはあるものの、そこまでの過程は自由に選べるだろって思ってます。さっき出てきましたけど、社会のシステムとか、金儲けであるとか、出世であるとか、学歴であるとか、そういったものは関係ないと思ってます。自分が好きで、やりたいものが見つかってるなら、そんな、他の人が決めたシステムとかは、自分にとっては嘘やデタラメと同じで関係ないんですね。 […]

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グッドウィルハンティングを情熱的に感想・レビュー。経験・才能・周りの評価に対する大事な考え方

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動画のほうが情熱度は伝わります。 どうも、こんにちは。皆さん映画はよく見ますか? 僕は週に一度は必ず見ます。僕が映画を選ぶ時のポイントは面白さよりも、その作品が自分にどんな気付きを与えてくれるか、というところに着目します。よく「死ぬまでに見ておきたい映画10選」みたいなのがありますけど、あそこにあるのを見ると確かにメッセージ性が強くて、見る前と後では何か気持ちに変化が訪れたりするものです。今日はそんな映画のお話です。 「グッド・ウィル・ハンティング」 今回取り上げるのは、「これだけは見ておきたい」ランキングに必ずと言っていいほど入っている「グッド・ウィル・ハンティング」です。見たことがある人も多いかもしれません。「まだ見たことないですという人の為にネタバレはしません」と言いたいところですが、それだと言いたいことを伝えられないので、劇中のセリフを幾つか取り上げますが、ご了承ください。 [amazonjs asin="B006OQ0GD0" locale="JP" title="グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~ DVD"] 自分が経験しなけりゃ意味がない この映画は、端的に言うと、深い心の傷を負った天才青年と、同じく失意の中にいた精神分析医がお互いにあらたな旅立ちを自覚して成長してゆく姿を描く感動のヒューマン・ドラマです。 そこで精神分析医のショーンが主人公のウィルにこう語るシーンがあります。 もし僕が芸術について君にたずねたら、君はおそらく今までに書かれた本の中の細かい情報まで僕に示すだろう。例えばミケランジェロ。君は彼についてたくさんのことを知っている。生涯の作品、政治的な野心、彼と法王の関係、性的な嗜好。でもきっと君は、システィナ礼拝堂がどんな香りがするのかわからない。君は実際にそこに立って、美しい天井を見上げたことが一度もないんだ。一度も。 これはつまり、本で得た知識や誰かから聞いた話がいくらあっても、自分自身が動いて経験しなければ、何も語れないし、教えることも出来ない、ってことです。僕は効率主義者なんで、本なんかで学んだ知識とかは実際に自分で使ってみないと、あれだけ時間かけて学んだのにもったいないって思う質なんですが、皆さんはいかがでしょうか。確かに本を読んだりして学ぶことはとても大切ですし、それはこれからも続けていってほしいんですが、よく「知ってることと出来ることは違う」って言われる通り、知っているだけじゃ自分の血肉にはならないですよね。また、周りの人は知識量だけじゃあまり評価してくれませんから、アクションを起こしてみて少しでも結果を残してみることが重要だと思ってます。 一面だけを見て簡単に評価してはいけないんじゃないか 先程の場面で続いて、こう語るシーンがあります。 ウィル、君は天才だ。誰もそれを否定しはしない。おそらく誰も君の能力の大きさを理解できないだろう。でも君は、僕が描いた絵を見ただけで僕のすべてがわかると生意気にも言った。そして僕の人生をずたずたに引き裂いた。 君は孤児なんだろ?君の人生がいかにつらいものだったか、君がどんな気持ちでいるか、君がどんな人間なのか、それらを僕が知っている、なぜなら僕が『オリバー・ツイスト』を読んだことがあるから、なんて君は考えるかい?それで君の人生をうまく理解したことになるのか? これは人を評価したり判断したりする時ですが、やはりこの言葉にもある通り、人の全てを簡単に評価してはいけないんだよなって思います。確かに評価を下さなければいけない場面は実際にはあると思いますし、自分が評価される時も日常生活で大いにあると思います。ですが、人は常に変化するものですし、自分が評価する時もされる時も、相手の今までの行動全てを見ることなんて不可能なんですから、自分含めその他の人のその後の可能性まで、簡単に決めないでください。ある人の一部分だけをみて「この人はこういう人なんだ」って決めてしまうのは、その人の可能性もバッサリ切り捨ててしまうことなんで、余りにももったいない気がします。後は、常に変化に気を配っていくのが大切じゃないかって僕は思います。自分自身なら直近一週間とか一ヶ月間を振り返ったり、自分以外の家族や友達や従業員とか気になる人がいたなら最近の動向とかを聞いてみたり。もし仮に、その人が今まさに変化しようとしているなら、その兆しとかを見逃さないであげてほしいなって、そう思いました。くれぐれもその変化の芽を潰すことだけはやめてくださいね。それは自分自身に対してもです。それが今後どう化けるか分からないですからね。 才能を活かすことに注力して欲しい この映画では、主人公のウィルに友達がこう語るシーンがあります。 もしも20年経っても、お前が同じ仕事をしていたらお前を殴ってやる。冗談で言ってるんじゃない。本当に殴ってやる。 俺は50になって、工事現場で働いててもいい。だけど、お前は生まれながらにして当たりの宝くじを持っているんだ。俺たちはみんな、その当たりくじが欲しくてずっとあがいている。だから、それを持っているお前が、それを活かしもしないで捨てるのは我慢がならない。 俺はこう思ってる。毎日、お前を迎えに行き、酒を飲んでバカ話、それも楽しい。でも、一番のスリルは車を降りて、お前の家の玄関に行く10秒前。ノックしてもお前は出てこない。何の挨拶もなくお前は消えている。そうなればいい。 才能は誰にでもどこかに必ずありますが、それを無下にしないで欲しいなと思います。以前セミナーで話しましたが、自分に才能があるのに失敗や挫折に恐怖して、他の部分や弱点にばかりに神経を注ぐのは、勤勉でも謙虚でもなく、只の無責任です。それに比べて、自分の中の才能に目を向け育てようとするのは、何より責任の重い、何よりやりがいのある、更に自分自身に忠実であるという意味において最も尊敬に値する行為何じゃないかと思ってます。何か仕事をする時に僕が大事にしているのは、いかに社会に貢献できるかどうかです。偉大な経営者ってのは誰もが私利私欲のためではなく、社会に貢献できるかどうかで物事を進めていると思います。そういう視点で考えれば、自分にしか出来ないこと、自分だから誰かのためになれることってのはあるはずです。そして、そういうものは大体の場合、自分がやりたいこととマッチしていると思いますので、後は自分の心に従って、突き進んでいけば良いのではないでしょうか。 ちなみにセミナーの動画はこちらです。 11/5のセミナー動画公開「才能開花」 ※無料会員登録必須 最後に いかがでしたでしょうか。今回はこの映画から感じた「経験・評価・才能」に対するメッセージと、それに対する僕の意見を聞いて、何か皆さんの心を揺さぶることは出来たでしょうか。この映画は本当にメッセージ性が強く、色々思うことがありますので、気になった方はぜひご覧ください。 最後までご覧いただきありがとうございます。もし宜しければ、はてなブックマークをして頂けると幸いです。 それではまた今度。 [amazonjs asin="B006OQ0GD0" locale="JP" title="グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~ DVD"]